ものづくり事業部

月別アーカイブ:2016年 11月

第11回 エチオピア国のカイゼンの状況

私は2015年10月~2016年7月の間JICAの第Ⅲ期エチオピア国品質・生産性向上(カイゼン)PJに、第Ⅰ期のPJに続き参加し、エチオピア国のカイゼン普及支援事業に従事致しましたので、エチオピアのお国柄とエチオピアのカイゼンの状況についてご紹介致します。(ものづくり事業部・海外事業部 江澤 博)

1 エチオピアってどんな国
1)人口・位置・気候
エチオピアは、正式名称でエチオピア連邦民主共和国と言います。面積が1127千k㎡(世界26位)人口は約80百万人、そのうち日本の人口を抜くと言われ、平均寿命は5歳以下の子供の死亡率が高いため、50歳前後と言われています。

エチオピアはアフリカ大陸東側にあり、アフリカの角、Horn of Africaの地方にあり、東には海賊の国ソマリア、西には20年間の内戦から南部が独立したスーダン、南にはケニア、北を紅海沿のエリトリア(かつてはエチオピア領)とエチオピアの貿易港となっていて、自衛隊が派遣されているジブチと四方を他国に囲まれた海岸のない内陸国です。北半球ながら、北緯9度前後の赤道に近い位置にありますが、国土の西側3分の2位は2000m以上の標高の高原であるため、1年中ほぼ同じような気温です。1月2月でも朝晩は10℃前後、日中は20~25℃と寒暖の差がありますが過ごし易い気候になっています。
また、気圧の低い高地であるため裸足のアベベ以来の陸上競技長距離の強豪選手を輩出する国として有名です。

その一方で、国土の東北には大地溝帯があり、アファー低地帯では海面下150mのアフリカ一番の低地のダナキルがあり、世界で一番暑い場所です。今回私はそのダナキルを訪れました。硫黄の吹き出す
火山と一面の塩湖からなり、別の惑星に来た様な気分になりました。そのアファーは300万年前にアウストラピテクス・アファレンシスという人類の祖先である直立類人猿の住んでいたところで、何百体もの個体の骨が発掘されています。その中で最も完全に近い形で出土したものとして知られていますのがルーシーです。今ルーシーの骨はアメリカへの長期ツアーに出ていて、アジスアベバのエチオピア国立博物館にあるのはそのレプリカです。

2)宗教・民族
エチオピア正教徒(コプト派キリスト教)が約6割、イスラム教徒が約3割で敬虔な信者が多いことでも知られています。夜明け前、近くの教会からお祈りに誘う大きな音がスピーカーから流れて来ます。このためスピーカーの大音量は目覚まし時計代わりになります。
エチオピアには約80の民族がいます。その中でも最も多いのがオロモ人で約40%、アムハラ人約30%(アジスアベバを中心及びその周辺)、チグライ人(エチオピア北部・故メルス首相の民族)7%、ソマリ人(エチオピア東部)4%です。少数民族の中には、唇に大きな皿を入れることで知られています南部のムルシ族がいます。
今回私は、北エチオピアのチグライ州で、カイゼン指導を行いましたが、ここで話されているチグライ語は、アジスアベベで話されているアムハラ語と文字も発音も文法も全く異なり、チグライ出身でない、カイゼン指導員は全くこの言語を理解できません。

3)教育・言語
多民族国家(多言語国家)であるため、初等教育は地方毎の言語で行われますが、中等教育からは、エチオピアとしての共通言語がないため、英語で教育がなされ、大学ではもっぱら英語が使われます。このため、アジスアベバでは現地語のアムハラ語と英語が共通言語になります。ホテルの従業員や我々が乗っていますハイヤーの運転手は英語を話せますが、街の商店のおじさんやおばさんや工場の労働者は全く英語を話せません。もちろん我々のパートナーのカイゼン指導員は皆大学を卒業していますのでとても上手に英語をしゃべります。

また、指導した多くの工場は、インド、バングラデッシュ、スリランカ等の東南アジアから、多数の技術マネジャ・クラスを雇っているため、工場内の公用語は英語となっています。
また、TV放送ですが、現地語の放送局は1,2ありますが、サッカー中継、ニュース番組(BBC、CNN、アルジャジーラ)等の衛星放送を各家庭はパラボラアンテナを設置し受信しています。世の中の動きの情報や有名なサッカーの試合は英語が理解できないと解らないことになります。
また、エチオピアでは現地語での専門書の出版がないため、カイゼン指導員はほとんどの情報をインターネットにアクセスし、英語の資料をダウンロードして入手しています。近年日本でユニクロや楽天等、一部の大手企業が公用語を英語にしようとの動きがありますが、発展途上国では、好むと好まざるに拘わらず、英語を使用しないと知識も情報も得られないし、仕事も進まない状態で、日本より何歩も進んでグローバル化されています。

4)歴史時代以前のエチオピア伝説
旧約聖書によると、イスラエル王のソロモン王を訪ねたシバの女王は、エチオピアの女王です。その2人の間にメネリック一世が生まれてエチオピアを治めたということになっています。それから、最後の皇帝ハイレ・セラシエ(1974年、社会主義の軍事革命により廃位)に至るまでこの伝説の血統につながることが皇位の正当性とされています。又、インデイージョンーズの映画に出てくる、聖杯(アーク)伝説のあるのもエチオピアです。

5)現代のエチオピア国の成り立ち
エチオピアは多くのアフリカの国が西欧列強の植民地になった中で、伊ムッソリニーによる6年間の占領を除き、他国に支配されたことのない国で、誇り高い民族の国です。又、イタリアに勝利した日は国民の祝日になっていて、TV放送は朝から、イタリア戦勝の特別番組が放映されています。第二次大戦後の国連では設立当初の50ケ国の加盟国の1つであり、朝鮮戦争にも国連軍の一員として参戦しています。日本は敗戦国のため国連の加盟は1956年とエチオピアより10年以上も遅くなっています。

1974年に帝政から軍事革命により社会主義に移行し、1991年に軍事政権を故メルス首相をリーダーとする、TPLF(チグライ民族解放戦線)が倒し、1994年から議会制民主主義体制になり、現在まで続いています。他の新興国同様圧倒多数与党による一党独裁的な色彩がありますが、今のところチュニジアやエジプトのような革命が起こる懸念は少ないと感じられます。民主化後は、連邦体制で地方への分権化を進めており、序々に国営企業の民営化を進めて市場経済を導入し,育成しつつあります。今回のカイゼン指導の中にも、元の国営企業が含まれています。現政権は強力な政府指導で産業を引っ張って行く「開発国家資本主義」のモデルでの発展を目指しています。
我々のJICAプロジェクトもこの流れの一環にある。企業活動における品質・生産性の向上を図り輸入代替・輸出増加と雇用創出を進めることをエチピア政府は目標としています。

2 エチオピア国のカイゼン活動の状況
私の参画した、JICAの第Ⅲ期エチオピア国品質・生産性向上(カイゼン)PJは、カウンターパートである、カイゼン指導員のカイゼン実施能力の向上を図り、エチオピア国内でのカイゼン実施企業を拡大する目的があります。私は参加した、第Ⅰ期のカイゼンPJではカイゼン指導員は9名しかいませんでしたが、第Ⅲ期では、管理部門を含めて、カイゼン指導員の組織(EKI:エチオピア・カイゼン・インスティチュート)は100名弱の陣容を擁するまでに拡大・発展しています。

それぞれのカイゼン指導員の知識レベルもモチベーションも高いです。一方、実践でのカイゼン経験が不足している欠点も抱えていますが、エチオピアの大企業、中小企業や零細企業へのカイゼン普及の尖兵となっています。最大の悩みはカイゼン指導員は公務員であるため給与が安く、民間企業への転籍や国内外の外国企業への移籍が多いことです。このため、EKI 所長の最大の命題は如何にカイゼン指導員の待遇を向上させ、離職を防ぐためにできるだけ多くの予算を獲得することです。

アフリカでは、JICAにより、カイゼン普及PJがエチオピアの他エジプト、ジュニジア、ガーナ、ケニア、ザンピア、タンザニア、マラウイ他で実施されています。EKI所長がカイゼンへの思い入れが強いことと、カイゼン普及戦略が卓越していることから、アフリカ諸国での、カイゼンの第1人者を名実とも自負しています。今年の8月にケニアのナイロビで開催されたTICAD Ⅵで、安倍首相が1万人の工場経営者の育成支援を約束しました。このため、今後ともアフリカでカイゼンを導入する国が益々増えてきます。アフリカ諸国は、多くの資金を要さず、製造業の品質・生産性向上に大きな成果をもたらす、日本のカイゼンに熱い視線を注いでいます。

事業部紹介

ものづくり事業部では単に製造業に限らず第一次産業でも第三次産業でも、人々の生活を豊かにする「ものづくり」機能全般にわたって企業支援をいたします。
「ものづくり」は単に、物財の製造だけを指しているのではありません。私たちは、人々の生活を豊かにし、企業に付加価値をもたらす財貨を産み出す総ての行為こそ「ものづくり」だと捉えているのです。
ものづくりの原点にかえって、それぞれの企業に適した打開策をご相談しながら発見していくご支援には、いささかの自信があります。

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