6.コストはデザインできるか
6-5 過剰品質がコストへ及ぶは必然
● 品質の形成や維持にはコスト
コストは品質に「ついてくる」のですから、あるレベルの品質を形成し、維持するためには製造品質はもちろん、設計品質にも市場品質でさえも、あるレベルのコストを要します。
コストは前回の図表6-8に示したように、企業経営的な性格を異にしています。が、ベストコストはトータルコストです。ですから、性格の違うこれらのコストが『設計』『製造』『市場』それぞれにベストの『品質レベルを形成・維持』していなければなりません。
しかし『品質とコストの相関』が必然である中でベストコストを狙うとき、無視できないのが過剰品質の問題です。品質が過剰であるなら、コストも過剰になるのは、まさに物理的な必然性があるわけです。
ただ『過剰』か『適正』かの判断で難しいのは、最終的な市場品質を維持するための適正コストが、どれほどの水準になるかということです。つまり設計品質を構築する段階で、どのレベルを超えたら「品質が過剰になるのか」という判断が、容易ではないことです。
● 差別化した品質を創る仕事
コストの確定は、開発・設計段階に最高の要因があるわけです。が、そもそも新商品開発は、他社と『差別化した商品』を創造するのが仕事です。ですから狙いが、明確でありさえすれば低廉な普及製品か、逆に高価格・高級品を差別化要素にしてもいいわけです。それは常識的に考えても、市場のニーズが高級品指向なのに、普及品を念頭においた設計品質を目指すわけがないからです。
差別化要素では、サービス要素などを含めた総合的な市場品質が、他社に比べて劣っている商品は、価格が安くても売れませんから『他社に比べて優れた部分』の品質は、決して過剰ではないのです。
総合的な品質が、ハイレベルに保たれる高品位な開発品は、品質レベルに見合った適正価格を保っているかぎり付加価値を高め、自社の利益に貢献するわけです。
要は、新商品が狙いとする標的市場のニーズによって、総合的な品質水準が、自ずと決められるということです。つまり適正コストと同様に、適正品質という概念があるわけです。となると市場の要求水準を越えた部分が、過剰品質になるのですから、勢い余ってそのレベルまで設計しないことです。
● 機能品質と正比例しないコスト
今では『常識レベル』とでもいうべき、図表6-9に示すディジタル家電のような設計品質があります。これは極度に「機能が高められた品質」と、その機能を「取得するためのコスト」が『不一致の商品』だといえるでしょう。
昔の商品学では、この商品は「これができる」「このように使える」「こんな役に立つ」といった『品質の概念』を効用といったものです。もちろん効用を産み出すためには、効用の大きさ『相応のコスト』を投入したものでした。しかし現代の高度化製品は、単純に「投入コストに見合った」効用といえなくなっています。
ですから現在の効用は、むしろ機能品質というべきでしょう。事例のディジタル家電の場合は「不要なまでに多機能な」製品は、筆者のような消費者にとって「過剰品質に映る」のです。が、製作者側にすれば、多機能化が即コストアップ要因になりません。逆に「機能を低下」させても、必要コストは「下がらない」からです。また競争市場において、他社に『遅れをとる』恐れもあります。
したがって設計品質を決定づける商品企画では、顧客ターゲットは多機能機器にニーズを示す若い『スマホ族』向けか、多機能を必要としない『ガラケイ族』に絞るかが、先決の課題になるわけです。
しかしこれも『取扱説明書の充実』など、開発業務以外のはたらきかけによって、消費者教育を進めることが『スマホ族』を増やし、商品企画の選択肢を広げます。
つまり『市場の機能品質』は、新製品『開発時の設計品質』やそれに『続く製造品質』だけでなく、総合的なマーケティング活動を伴って形成されるわけです。商品企画の段階では、市場への最終的なはたらきかけまでも見通して『競合他社との勝負』に臨むことになります。
● 官能品質の形成とコスト
コストと品質の関連では、必ずしも「過剰品質だからムダなコストだ」と単純にいえない、もうひとつの性質があります。つまり「美味い」とか「きれい」「気にいった」というような、ユーザーや消費者の感性への訴求をどのように形成するかです。
つまり官能品質とでもいうべき品質形成にも、当然一定の『コスト投入』が必要です。ただ生産段階でベストコストを目指すとき、人間の感性に好印象を与えながらも、どの程度に過剰品質を抑制するべきかの問題が残ります。
官能品質のウエイトが大きい、たとえば食料品のような製品は、単純に『品質とコストの相関』を確定してしまうわけにいきません。それは官能品質が、第一次産業で生産する『素材の品質』や、第二次産業で加工場が『産み出す製造品質』をベースにしているからです。そのことがユーザーや消費者に、十分理解できるからでもあります。
さらに素材や一次加工の品質を基本とし、第三次産業の厨房で板前が振るう『職人さんの腕前』が、最終的に「美味い」という官能品質をつくりだすという特性も加わります。
しかし『腐肉を混入』するような国のコスト概念は論外としても、食料品は安全性品質が重視される商品ですから「美味い」「安い」という前に、衛生面に留意した安全性維持のコストは程度の差はありますが、過剰品質形成のコストではありません。
このように、何が基準となって『過剰品質という』のかは、品質-コストバランス上の問題だといえるわけです。
● 機能品質と官能品質の折合
目指すべき「適正品質と適正コストのレベル」は、標的市場の中に正解がありますが、その選択肢は多岐にわたり、短絡的に決まるものではありません。要は設計者の『独りよがり』で、過剰品質を生まないことが、ベストコスト追求の第一歩だということです。
たとえば、直角に折り曲げるだけのプレス加工と、曲線の絞り加工とでは、確実に後者のコストは割高です。しかしその『コストの差』は設計者の独善ではなく、ユーザーや消費者に容認されて「高く買っていただける」なら、曲線のデザインが過剰品質にはなりません。
ただ現実的に、品質水準とコストが『物理的な相関』をもつ商品は、圧倒的に多くあるわけです。製造工程の『仕上げ』に行う塗装は、商品を「腐食から保護する」機能品質と「美しさを醸しだす」官能品質を併せて造りだす目的があります。
たとえば輪島塗のように、官能品質の形成を目的に塗装される製品もあります。十分な前処理のうえ『耐久性の高い』高価な塗料を用い、高給取りの『腕のいい職人さん』が「二度塗り、三度塗り」と期間をかける施工方法によって、コスト相応の官能品質を形成するのですが、それととともに『強度』という機能品質も高めます。
ここで当然、塗り回数を減らしてコストを下げれば、それだけ機能品質と官能品質を総合した品位も落ちるはずです。が、塗り物に興味がない消費者や、大衆食堂のようなユーザー側には低品位製品で「十分だ」というニーズもあります。
ですから輪島塗のような塗り回数を増し、時間をかけて作り込む品質が『過剰か否か』は、市場の要求水準で決まるのです。
● 過剰品質の要因は造り手側にあり
さらに「顕微鏡で塗装キズを探す」といった『品質管理の方法』は、確実にコストアップに繋がります。が、検査自体がコスト高を呼び込むわけでなく、作業基準で定められた検査方法が過剰品質を生むのです。
しかしそのような検査方法が、ユーザーや消費者のニーズとして不可欠な品質条件であるならば、生産者側が『コストダウン手段』としてこの検査方法を変えるわけにいきません。コストダウンは『永遠の経営課題』ですから、作業基準の変更以外のコストダウン手法を採らなければなりません。
ただ明言できることは、過剰品質によるコスト高生産をしているか否かは、ユーザーや消費者にとっては、まったく『関心の無いこと』です。買い手として関心を示すのは、提供される市場品質が『幾らの価格で入手できるか』ということだけです。
市場品質に相応の価格設定がなければ、もちろん「売れない」だけのことです。売れないからといってダンピングしたのでは、売り手側の損が、必ずしも買い手側の得になりません。
なぜならば買い手側は、当然の「適正価格で買った」と思っているからです。過剰品質の排除はベストコストの追及どころか、それくらいに「あってはならない」社会的な損失だということです。