「映画音楽」という言葉は、死語になったのだろうか。映画の主題歌が、音楽番組で流れることは少ない。映画音楽集のレコードや音楽テープを話題にすると、年が知れる時代である。
ビデオやDVDのない時代、映画音楽を聴くことで、映画の内容が脳裏でリプレイされる曲が多かった。音楽が映画と一体になり、脳裏に刻みつけられる作品である。娯楽作品というより、まさに総合芸術の粋を集めた作品が多かった。慕情、エデンの東、サウンド・オブ・ミュージック、シャレード、シェルブールの雨傘などなど。
そのような映画の1つに、アメリカ映画「ゴッドファーザー」がある。背筋を凍えさせるストーリーの展開と、対照的な主題曲「愛のテーマ」とのバランスが映画ファンを虜にした。
タイトルの「ゴッドファーザー」は、マフィア(組織暴力団)のドン(首領)の意味で日本語として使われているのは映画の影響であろうか。が、本来の意味は、教父、名付け親、代父で、生まれた子の洗礼式に立ち会い名(クリスチャン・ネーム)を与え、霊魂上の親として宗教教育を保証する男性である。神聖な宗教的な言葉である。日本語の「名付親」とも、意味合いは異なるようである。
翻って、日本の名付け親を考えると、伝統的には「烏帽子親」になるでしょうか。中世の武家社会では男子が成人に達し、元服の儀式を行う際、烏帽子をかぶせる近親者や一族の長老、主人筋の人を烏帽子親という。その際、幼名を排して名烏帽子名が与えられる。烏帽子親は、名付け親になる。
カンボジアでお世話になった人に娘さんが生まれた。誕生祝を送金したら、名前を付けてほしいとのメールが返ってきた。4月初めの桜の季節なので、「SAKURA」と名付けて、「ビューティフルでエレガントなレディに成人することの願いを込めて」と伝えた。カンボジア社会では、どのような意味合いで受け取られるのだろうか。思わぬところで名付け親になったが、エレガントなレディに成長することを祈っている。