近くの大宮公園内に、埼玉県立「歴史と民俗の博物館」がある。定期健診の時に通るが、車だと通りすぎてしまう。今回は、いい季節で自転車を利用したこと、検診もいつになく早く終わったため、ふと立ち寄ってみた。
新緑の木立の道を進むと、団体の学生が楽しそうに歩いて行く。大宮公園で野外活動をするようだ。自転車置き場からは、歩いて進むと見慣れた入口が見えてくる。静かな雰囲気が好ましい。
特別展で、ATTIC MUSEUM(屋根裏部屋の博物館)を開催していた。埼玉の3大偉人の一人渋沢栄一のお孫さんの渋沢敬三のコレクションが展示されていた。【他の二人は、塙保己一(盲目の国学者)と荻野吟子(日本初の女性医師)】
渋沢栄一は、日本商工会議所の生みの親で有名だが、跡継ぎの栄一の孫、渋沢敬三はあまり知られていない。実は、渋沢家は大正4年に19歳で継いだものの、栄一の興した会社は個人のものではないと、各社の経営は引き継いでいない。
大学卒業後、横浜正金銀行・第一銀行を経て、46歳で日銀副総裁に就任している。終戦前後激動期を経済人として活躍し、昭和19年3月に48歳で日銀総裁に就任、昭和20年10月に49歳で大蔵大臣に就任、預金封鎖・新円切替等戦後のインフレ対策を行っている。その後5年間公職追放の指定を受けていた。
今回の特別展では、大学の頃収集を始めた玩具・絵馬など、赤ものと呼ばれるだるま等の置物が多数置かれている。現在初市で出ているだるまに比べ、全国のだるまの多様性には驚かされる。
社会人になった後は、収集対象を「民具」として、全国の有志に呼びかけている。既に役割を終えたもの・容易にかわりのものが作れるものが多く集まっている。農業・漁業・手工業に係るものからは、明治期の地域の生業(養蚕、藍玉、大麦・小麦等商品作物生産)が良く分かる内容になっている。
戦前は、鹿児島県の薩南十島調査を始めとして、樺太・台湾・朝鮮半島・ミクロネシアまで調査は広がっており、資料の現物から写真・映画まで貴重なコレクションで、失われた文化の多様性・希少性に改めて感心する。
公職追放後は、民俗学・民族学・漁業史など学問としての確立にも尽力した。今後、各地に残された資料はどうなるのかと心配になる。
2足のわらじでも、生涯貫き通す精神力に学びたい。