経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

「失われた時を求めて」 (マルセル プルースト著)

 

 

 

 

 

 

 

 

定年退職を前に、無限に続くと予想される休日を想定して、時間つぶしに読む本として、マルセル・プルースト著「失われた時を求めて」を購入しました。しかし、読む時間を取れないまま時間は流れました。
最近書店で,偶然に吉川一義著『絵画で読む「失われた時を求めて」』(中公新書)を見つけて購入しました。176ページのうち、80ページ以上に小説に登場絵画がカラーの原画が紹介されています。

世界最長の小説としてギネスに認定され、「読了すれば自慢できる作品」と言われる難解な小説です。村上春樹氏も、途中で挫折したと伝えられている長編で難解な小説です。
小説の「量の多さ」に加えて、「20世紀を代表する小説」、「文学史上最も偉大な小説」として世界的に高く評価されている作品です。『絵画で読む「失われて時を求めて」』を読み、プルーストの教養の高さ・広さに圧倒されました。わたしの教養レベルでは、とても読書の対象にする小説ではないと実感しました。まさに、「読了すれば読者にとり自慢できる作品」と言えるでしょう。
定年退職して、永い年月が経過しましたが、結果的に「積読」の効用が得られたようです。難解な小説に挑戦し、教養不足で挫折して、貴重な人生の無駄遣いをしないで済んだようです。

埼玉さくら巡り

 

 

 

2023年さくらの季節間近、今年は開花も早いようです。
1.見沼代用水西縁堀の内橋近く、河津桜の並木道
コロナ禍の最初の年、住んでいる大宮区から見沼区・北区を散策しました。
その中で、最初に咲くのは、大宮開成高校近くの見沼用水西縁に植わった並木です。
伊豆の桜だよりを聞いた後、程なく咲き始めます。
散策するもよし、ベンチに座って、小鳥のさえずりを聞くのも良しです。
近くに、「力」の焼き鳥工場があり、直売所も開いています。

2.見沼代用水西縁新道山家近く、雅桜の並木道
サラリーマン時代、大宮駅から岩槻行きの東武バスで通勤していました。
下車停留所[芝川]から寄り道すると、河津桜の後に咲き始めます。
色は淡くなりますが、私は一番好きな花です。
この後、大宮公園・第二公園・第三公園、芝川沿い、見沼グリーンセンターと
ソメイヨシノが咲き乱れることになります。

3.埼玉の桜の名所
浦和の街中の枝垂れ桜、県庁の桜
岩槻城の城址公園や川越の田園風景の中の桜
所沢航空公園や武蔵野の屋敷林内の桜
子供のころ、キッコーマンの工場見学と合わせて行った、幸手権現堤の桜
先輩と古墳巡りで歩いた、行田のさきたま古墳群と忍城の桜
熊谷の荒川沿いの桜、秩父の長瀞
埼玉県には、多くの花見の名所があります。
是非年に一度の桜をお楽しみください。

 

世界遺産巡り③ ハワイ火山国立公園(ハワイ島)

世界遺産とは「地球の生成と人類の歴史によって生み出され,過去から引き継がれた貴重な資産」と定義され、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類があります。

今回はアメリカ合衆国のハワイ島にある自然遺産「ハワイ火山国立公園」を紹介します。
ハワイ火山国立公園は、133,200haの保護区内にキラウエアとマウナロアの二つの巨大な活火山を有し、1987年に世界遺産に登録となりました。

キラウエア火山は、1983年1月3日以来活発に噴火をしていますが、「世界で最も活発な火山」だが「世界で最も安全に見れる火山」といわれており、火口から出た溶岩が海岸まで流れることで有名です。

1枚目の写真は、周囲12kmをようする巨大なキラウエア・カルデラの中心にある円弧(直径1㎞)のハレマウマウ火口です。2018年の噴火で大きく陥没しています。近くで活火山を見ることが出来る世界でも珍しい場所です。

2枚目の写真はカルデラの外周にある道路(チェーンオブクレーターズロード)と溶岩です。

マウナロア火山は、富士山よりも高い4169mの火山で、地球上で最も体積(約75,000k㎥)の大きい山です。直近の2022年11月27日に38年ぶりに噴火しました。

因みに国立公園内にある米軍教育施設であるキラウエア米軍キャンプでは、太平洋戦争中にはハワイ島の日系人が収容されていました。歴史上は様々な悲劇があった場所ですが、現在は壮大な地球を感じることができる自然豊かな島です。

志賀島(福岡)

 

志賀島全景              志賀島側から福岡市を望む

 

金印公園内のレプリカ         金印公園内レリーフ(漢委奴国王)

大寒の時期を迎え、寒さがいよいよ本番の季節になりました。少し時間が経ってしまいましたが、年末年始に郷里の福岡に帰省した際に訪れた、実家の目と鼻の先にある「志賀島」をご紹介いたします。教科書にも出てくる(現在も載っているのでしょうか?私の学生時代はありました)国宝「漢委奴国王」の金印が出土したとして有名な場所です。福岡市東部にあり、砂州により陸続きになっている陸繋島で、片側1車線の道路だけで本土とつながっています。車に乗り島に向かっていくと、片側は波が荒い玄界灘、反対側は内海の穏やかな博多湾と見事なコントラストを感じることができます。そもそも北部九州、福岡は古代から大陸文化の窓口として外国との交流の中心、また、海上交通の出発点と重要な位置を占め、多くの史跡が残されています。

江戸時代に地元のお百姓さんが水田の耕作中に偶然に金印を発見したと伝えられる場所は、現在金印公園として整備されています。1世紀ころに執筆された「後漢書」に記述がある金印が、江戸時代に土中から偶然見つかるという時空を超えたミステリーは、現地に立つと何だかより真実味を帯びてきます。

また、パワースポットとされる志賀海神社は、神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要地である博多湾の総鎮守として篤く信仰されてきました。参拝する際は、清められた浜砂である御潮井を身体に軽く振ってから参拝します。また、春と、秋に執り行われる祭事「山誉祭」の神楽歌においては、{君が代は、千代に八千代に・・}と歌われており、現在の国家「君が代」のルーツと言われています。

志賀島までのアクセスは、福岡市中心部からも車で40分くらいと近く、海沿い12キロの周遊道路は、博多湾から玄界灘を望む海の色がきれいなドライブコースです。私にとっては、大学時代に友達と福岡市内のキャンパスから授業をさぼって何度も訪れた思い出深い地です。

センチメンタルジャーニー(5) クラウゼビィッツ著「戦争論」

昼食の時、たまたまテレビのスウィッチを入れたら、昔なつかしいオードリー・ヘプバーンが現れた。5分程見て昔見たトルストイ原作「戦争と平和」と気づいた。貴族・住民は、食料を持ち出し、住宅に火を放ち地方へと避難した。モスクワに迫ったナポレオンは、「兵士よ!あれがモスクワの火だ」と鼓舞したか否かは不明であるが、入城したモスクワ市街は焼け落ち住むところなく、食料もない。冬将軍の到来で戦わずして、ナポレオン軍は雪の原野の敗残兵となりフランスに逃げ帰った。
プロイセン王国(現在のドイツ)の兵士クラウゼヴィッツは、ナポレオン戦争に参戦し、戦後は陸軍大学の校長を務めながら、「戦争論」を執筆した。当時は、騎士同士の戦いから国民国家同士の戦いへの移行する混乱期にあり、戦略論の理論化に価値があった。西のクラウゼヴィッツと比較される東の戦術家「孫子」も春秋時代後期の戦乱期に活躍した。
読んだ本は,岩波文庫全3冊(篠田秀雄訳 上中下1232ページ)の大作である。特に印象の残った内容は、撤退戦略である。撤退は恥であるとして無理をして損害を大きくした日本軍の戦術に対し、戦争論では戦線を縮小し兵站を強靭にして兵力を集中させることで反抗力を強化する戦略であると喝破した。
孫氏の兵法と同じように、クラウゼヴィッツの戦争論も経営戦略・経営戦術に大きな示唆を与える著書である。
戦場は不確実であり、現場の司令官の即断・即決力が求められる。⇒VUCAの時代、稟議で時間を浪費する日本企業は海外の経営者をいらいらさせる。
戦場は、不確定要素「戦場の霧」で覆われており、作戦計画の達成の障害や脅威となる「戦場の摩擦」が生じ、司令官は霧の迅速・的確な把握力、決断力が求められる。⇒経営者は、市場環境の変化の「的確・迅速な把握力」と大胆な対策の「決断能力」が要求される。
クラウゼヴィッツの戦争論は、経営者に経営戦略の実行に重い示唆を与える書である。

事業部紹介

経営承継事業部は、円滑な経営承継を実現するための、コンサルティング・セミナー・執筆研究を実践する経営コンサルタントのグループです。
経営承継、円滑な経営承継を実現するための経営革新、後継者に選ばれる企業にするための企業再生などの一体的商品開発により、クライアント満足を優先させることを基本方針として貫いています。

詳細はこちら >

執筆者

月別アーカイブ

このページの先頭へ