経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

世界遺産巡り アンコールワット

世界遺産とは「地球の生成と人類の歴史によって生み出され,過去から引き継がれた貴重な資産」と定義され、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類があります。

今回はカンボジアにある文化遺産アンコールワット遺跡を紹介します。
夜明け前にツーリストは宿泊先からtuk-tukで一斉に集まります。日の出とともに、遺跡前にある池に映る逆さアンコールワットを写したものが1つ目の写真で、定番のスポットです。

アンコールワットは、クメール王朝が12世紀にヒンズー教寺院として建立したもので、16世紀に仏教寺院に改修されました。日本人との関りもあり、朱印船貿易に伴い1632年日本人の森本右近太夫一房が祇園精舎と勘違いし参拝し、壁面に墨書を残しています。

近隣の遺跡群を含めて屋根が修復されていない建物もあり、個人的にはRPGのドラゴンクエストに出てくる廃墟の街を連想してしまいました。

また、革命により政権をとったポルポト率いるクメールルージュが、1979年内戦により敗走し最後の軍事拠点としたことから、遺跡には生々しい弾痕が多数残っています。

余談ですが、遺跡のあるシェムリアップの街中にも、当時クメールルージュによる大虐殺の処刑場であったキリングフィールドの一つがあり、数えきれないほどの頭蓋骨が展示されていました。キリングフィールドはノンフィクション映画のタイトルにもなりました。劇中では悲惨な映像が多い中、主人公がクメールルージュ幹部からフランス語で話しかけられ、(知識人は真っ先に処刑となるため)理解出来ないフリをする場面が印象的でした。

アンコールワットは1992年の世界遺産登録となりますが、同時に危機遺産でもありました。悲劇の場となった歴史も含めての文化遺産であることを考えるとより一層灌漑深くなります。

センチメンタルジャーニー(3)若きウェルテルの悩み

   

    新潮文庫         作者 ゲーテ        シャルロッテとウェルテル

学生時代、京都国連協会の会長から忠告を受けた。新聞を読むより総合雑誌を読め。雑誌を読むより単行本を読め。最新刊の単行本より、古典を読めと。現代ものの知識はあすの命も知れないが、古典は時代の荒波を乗り越えて現在に生き、古典の知識は、生涯に渡って血となり肉とると。

先日、書店で偶然「教養としてのゲーテ入門(「ウェルテルの悩み」から「ファウスト」まで)」を見つけて購入した。「ファウスト」は人生の指針となった古典であるが、今回はウェルテルについて触れたい。本書は、独身の若者が、友人のウィルヘルムに送る書簡の形式(書簡体小説)で、心情の激しい起伏を表現している。友人と園遊会に行くとき、シャルロッテを拾い同乗する。美しいシャルロッテには許婚がいると友人より忠告されたが、深い恋に陥ってしまう。シャルロッテの家をたびたび訪れ、幼い妹や弟たちから慕われ、シャルロッテも好意を見せるが、許婚のアルベルトが旅先から帰り、ウェルテルはその地を去る。

別の地で官職につくが、上司や同僚となじめない。親切な伯爵家でのパーティで上流貴族から屈辱を受け、職を辞して元の地に戻る。旧知の作男が未亡人への恋心から殺人を犯した。作男の運命を自分に運命に重ね合わせたウェルテルは自殺を決意する。旅に出るのでピストルを貸してほしいとアルベルトに少年を遣わせる。アルベルトはシャルロッテに、少年にピストルを渡すように命じる。シャルロッテは、ウィルテルの自殺を予感しながら少年にピストルを渡した。ウィルテルは、恋しいシャルロッテの手のにおいを感じながら引金を引いて命を絶つ。

「教養としてのゲーテ入門」の著者によると、ドイツの特定作家のファンは絶命危惧種であると。ゲーテファンとしては寂しい限りである。

小水力発電

星野温泉第一発電所(出典:長野県)

星野温泉小水力発電所導水管(出典:長野県)

 SDGs関連で地方創生の見地での再生可能エネルギーの検討を進めていくと、以下のキーワードが浮かび上がってきます。
・地域おこし
・地産地消、
・農業用水活用
軽井沢の星野温泉の先代の案内で、敷地内の水力発電所を見学したのは、今から30余年前でしたが、自らの強みを生かす考え方は、温泉を訪れた科学者・文化人のアイデアを具体化してきた歴史故と、ヤマボウシの花を見ながら説明を受けました。テントウムシのバス、2人だけの結婚式、馬車の送り迎え、野鳥の森、手作り什器など、今あらゆる観光地で手掛けている工夫です。そして、次の脱炭素の小水力発電も、昭和のはじめに実現しているんです。

仕事で訪れた地域にほれ込み、岐阜県の郡上市白鳥町石徹白に移住した、平野彰秀さんの当時の担当は、農地の水路を活用した小水力発電システムでした。250名の人口の小さな集落に、4機の水力発電所稼働しており、電力自給率230%となり、売電収入で地域活性化の一助となっているそうです。

白山信仰の入口で最盛期には日に3000人もの宿泊者があった集落で、地域の結びつきが残っている最後のタイミングで、山村の生きる技術が高齢者に残されていたそうです。行政の手厚い補助があったとはいえ、250名の15%が移住者を集めるとは立派です。その中で、保育園に行っている子供を持つ若い移住者が多いという面も明るい未来を示します。

今、国内各地で小水力発電を使った地域おこしは、日本の電力消費を満たすもの煮は到底足りませんが、リモートワークに伴う地方活性化のツールとして活用できるのではないでしょうか。

神社仏閣巡りの楽しさ⑥

コロナ禍で遠出もできず、近場の北区王子にある“王子稲荷神社”に行ってみました。

王子稲荷は、歴史も古く、鎌倉時代に時の征夷大将軍源頼義から「関東稲荷総司」の称号を与えられたり、落語の「王子の狐」でも知られています

本殿で参拝をし、その横の鳥居をくぐっていくと、「願掛け石」に遭遇します。

願い事を念じて石を持ち上げ、軽く持ち上げられたら願いが叶い、重かったら難しいと言われています。見るからに重そうなのですが、さっそくチャレンジしてみましたが、見かけ通り重くて、願いは叶いそうにありません。京都の伏見稲荷大社の「おもかる石」は軽く持ち上げられたのに、残念です。

鳥居の前の狛犬ですが、マスク着用で感染防止対策をしていたのも印象的でした。

気軽に行ける場所ですので、ぜひ訪問してみてはいかがでしょうか。

 

センチメンタルジャーニー(2) 立川米空軍基地

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JR立川駅(当時)                空軍基地                 夜の基地近辺

2020年10月に5日に、久しぶりに昭和記念公園を訪れた。元勤務先であるNCRの山歩きの会(蛍雪山稜会)のメンバーの皆さんとの集まりである。山歩きの会としての発足であるが、メンバーの高齢化と共に、山歩きから丘歩きへ、そして平地歩きが多くなってきた。平地歩きとはいえ、4時間・3万歩強に達すると結構な運動量である。他の参加者にとっては、天高い秋空の下での少しきつい散歩であるが、わたしにとっては、いまは亡きMr.Dとの青春の思い出の多い元立川空軍基地へのセンチメンタルジャーニーである。

なぜかMr.Dとの出会いが思い出せない。福岡営業所勤務時代の出会いで、彼は博多の板付空軍基地勤務のシビリアンである。板付空軍基地での初心者同士のテニスや、博多湾での海水浴が思い出である。現早稲田大学の名誉教授であるMr.Yとの出会いも博多である。

2年半の福岡勤務を終えて東京本社に転勤になると、相次いでMr.Dは立川空軍基地に、Mr.Yは早稲田大学勤務となり東京で再会。東京で新たにMr.Fが加わり、Four Tigers(偶然全員虎年生まれ)を結成。基地内で肉厚のビフテキを食し、ボーリングを楽しみ、ホームパーティや誕生会を楽しんだ。数年後に、Mr.Dはワシントン勤務となりFour Tigersは自然解散。それぞれの道を歩むことになる。

昭和自然公園には、往時の面影を残すものは皆無である。

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