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手裏剣と宇宙ロケット

みなさんは、手裏剣というとどんな物を連想しますか?忍者が使う十字手裏剣とか八方手裏剣とかを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。そういう手裏剣もありますが、あの回転しながら飛ぶ車剣と呼ばれる種類のものは、主に忍者と呼ばれる人たちが使ったものです。武士が使うのは棒手裏剣と呼ばれる、棒状の物でした。

昔、手裏剣術を習っていた頃、仲間と共同で鉄工所に頼んで作ってもらい、数本買って持っていました。その手裏剣の写真をここへ乗せるとカッコ良いのですが、どこかへ紛失してしまいました。残念です。

棒手裏剣は、おおむね図のような形状です。途中で太くなったり細くなったりして重心の位置を変える工夫がしてあり、流派によって形状は少しずつ異なります。私が習った流派では、図のように片方の端から1/3ぐらいの部分が一番太く、そこから両側へ向けて、スッと細くなってゆきます。太い部分から遠い方が尖端で、ここが刺さります。

手裏剣を中指に添わせるようにして持ち、上から手を振り下ろすときに、ロケットの発射台のように中指に沿って飛び出してゆくようにします。イメージとしては、刀を上から斬り降ろすと、その切っ先がちぎれて敵に向けて飛んでゆき、敵に突き刺さる、というイメージです。ですから、手裏剣は「投げる」とは言わず、「打つ」と言います。

道場で、手裏剣を打つ時の立ち方や手裏剣の持ち方、構え方、腕の振り降ろし方などを習い、的である畳に向かって打ちます。ところがこれが刺さりません。途中で手裏剣が回転して上や下を向いてしまい、畳にぱたんと当たって落ちてしまいます。結局その日は一度も刺さらず、先輩の門人で畳屋さんをやっている人から、畳を1/8に切った切れ端をもらって帰りました。

家で畳の切れ端を的に練習をしますが、なかなか刺さりません。刺さるようになるまで1週間ほどかかりました。1年後には直径10㎝ぐらいの範囲にまとまるようになったでしょうか。手裏剣は三不過之術と言って、三本続けて外すようなことはしない術、言い換えると、3本に1本当たれば良い術、というくらいに当たりません。これを一気五剣と言って、一呼吸の間に5本の剣を打つように連続して打剣します。数打ちゃ当たるというやつです。

しかし、練習しているともっとよく当たるようになります。2~3年後には、前に打った手裏剣の後ろに次の手裏剣が当たって火花が出る、というようなこともしばしば起こるようになりました。静かな練習場で落ち着いて打てばそのくらいにあたるのですが、戦いの場でとっさに打った時には三不過之術になるのでしょう。

 

手裏剣には多くの流派があります。有名なところでは、伊豆流、願立流、白井流、根岸流、明府真影流などがあり、その他に剣術流派に付属するものとして、香取神道流、圓明流、北辰一刀流などがあります。

この中で根岸流は他の流派とはちょっと違った形の手裏剣を使うことで知られています。手裏剣の尾端に馬の毛を束ねたものをつけて、これで矢羽のように方向を調節しているらしいのです。重心の位置を調節しているのだという説もあり、私自身は根岸流の人間ではないので、よくわかりません。

根岸流の手裏剣は、手裏剣術の中では名門として知られており、江戸時代には日本各地に広まっていました。その中で水戸藩に伝わった根岸流は、独特の発展をしていました。それは手裏剣の尾端の毛の代わりに、ロケットの尾翼のような4枚の羽をつけたのです。後ろから見ると羽が「十」の字に見えることから、水戸藩では「十字手裏剣」と呼んでいました。忍者が使う「十字手裏剣」とは全く別物です。全日本手裏剣術協会のサイトに写真が出ているので、ご覧ください。

https://www.shuriken.or.jp/topics.html

 

話は変わって、1867年慶応3年、パリで第二回万国博覧会が開催され、日本は初めて万国博に参加しました。この時、将軍徳川慶喜候の実弟で現役の水戸藩主であった徳川昭武卿が将軍の名代として渡仏しました。将軍の実弟であり、現役の藩主が国外旅行をするわけですから、その護衛として武術に優れた武士が多数同行しました。その中には件の十字手裏剣の使い手もいました。

万国博では特に問題も起きず、将軍名代としての仕事を無事に終えた昭武卿は、そのまま帰国しました。同行した護衛の武士も当然帰国したのですが、このとき十字手裏剣の使い手は、持ってきていた十字手裏剣を、現地でお世話になった人に記念品として置いてきました。これが巡り巡ってパリの兵器博物館に収蔵されることになりました。

 

時は下って1903年、ライト兄弟は人類初めての動力を搭載した飛行機での飛行に成功しました。そして1914年、第一次世界大戦勃発。実用レベルに達した飛行機は偵察のために使われるようになっていましたが、これを攻撃に使えないだろうか、と考えるのは当然の流れです。と言っても、空から攻撃するなど、人類が一度も行ったことのない方法です。なかなかいいアイデアが思いつかないわけです。そんな兵器開発技師の一人が、パリの兵器博物館を訪れ、あの十字手裏剣を見たのです。「これだ」と思ったことでしょう。

軽くて小さいので、当時の飛行機にも大量に乗せることができ、手で掴んで振り撒けば、勝手に先端が下を向き、重力で加速されて高速になって落ちてゆき突き刺さります。フランス軍が開発して投箭とかFlechette とか呼ばれるようになったこの武器は、絶大な威力を発揮したため、イギリスやドイツ、アメリカなどでも使われるようになりました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Flechette#Bulk_and_artillery_use

 

アメリカではこれを改良したLazy Dog と呼ばれるものを開発しました。これは爆撃機に搭載する爆弾のような形をしています。ミサイルの形態にも影響を与えたようです。

ここまで来ると、宇宙ロケットのあの形状は、もとは水戸藩の十字手裏剣だった、という記事を書こうと思っていたのですが、これは確認できませんでした。

日本の水戸藩の十字手裏剣がアポロ計画のサターンⅤの原型であったとしたら面白いのですが、実際はどうでしょう・・・?

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