経営承継事業部

事業部トップ>執筆者:荒川 光一

執筆者:荒川 光一

「これで安心!経営革新・虎の巻」5月号のご案内

今、経営承継研究部会のメンバーで、月刊誌「税理」((株)ぎょうせい、日本税理士会監修)「これで安心!経営革新・虎の巻」を執筆しています。
最新は6月号が出ており、最新の内容はサイトで紹介はできませんが、前月のものを紹介する企画にしました。
「税理」は、3万部の発行で、毎月20日に発売されます。税理士さん向け ではありますが、一般の方にもわかりやすいように書いています。
今回は、「これで安心!経営革新・虎の巻」、(第5回)「事業DDで事業の現状把握」です。

<内容要旨>
1.中小企業の事業DD
2.事業DDの方法
3.「経営力向上計画」と事業DD
4.事業DDの重要性

詳細は以下をクリックしてみてください。
kaku1705s

zeiri1705

「みちくさ」江戸歳時記9

平成29年睦月、例年になく年明けから寒い日が続いています。今日も北風が吹いていますが、陽ざしは強く、川筋の梅の木は満開です。年の初めですので、いつもの散歩ではなく、近代日本の夜明けを楽しみながら歩きましょうか。

まずは、渋沢栄一旧宅です。渋沢栄一は、1876年に深川区福住町(永代2)の屋敷を購入し、本邸、その後別邸として利用しました。渋沢栄一と江東区との関係は深く、深川区会議員および区会議長を勤め、深川区の発展のために尽力しました。また、早くから倉庫業に着目し、1897年に当地に渋沢倉庫部として創業したのが現澁澤倉庫㈱です。旧宅跡地は猫の額ほどですが、澁澤倉庫㈱の敷地に遺され、今日もサラリーマンのランチスペースになっています。

次は、渋沢栄一旧宅の隣にある、幕末の佐久間象山が西洋砲術塾を開いた松代藩下屋敷があった場所です。佐久間象山は、清国で勃発したアヘン戦争に衝撃を受け、海防の必要性を痛感し、江川太郎左衛門(英龍)に西洋砲術を学びました。1850年当地深川小松町(永代1)の下屋敷で諸藩の藩士らに西洋砲術を教え、門下には、勝海舟・吉田松陰・阪本龍馬など多彩な人物がいました。わずかな敷地跡眺ですが、大砲の轟と国を憂い奮闘する若者たちの姿が目に浮かびます。

5分程歩くと、渋沢栄一が設立に関わった会社の一つ、旧浅野セメント㈱の跡地があります。現在は太平洋セメント㈱の子会社アサノコンクリート㈱のコンクリート工場として、何台ものミキサー車が行きかっています。当地は、日本で初めてのセメントエ場でした。セメントは、幕末から明治時代にかけてわずかながら輸入されましたが,高価なため国産化が望まれ、政府が官営深川セメント製造所として事業を始めました。1875年工部省の宇都宮二郎が本格的なセメントの製造に成功しました。近所の隅田川や仙台堀川などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の末、輸入品と遜色のない国産のセメントを作り上げたといわれています。官工場の民間払い下げに伴い、1883年浅野総一郎に払い下げられ、浅野セメント㈱として製造を始めました。その後、日本セメント㈱を経て、現太平洋セメント㈱に引継がれ現在に至っています。現在この跡地には「本邦セメントエ業発祥之地」の記念碑がおかれ,当時のフレットミルのロールも保存されています。いまではロールの音に代ってコンクリートタワーの音が響いています。

近所には、「江戸歳時記」みちくさ第7回で取り上げた清澄庭園があります。この庭園は、江戸時代の中期には、豪商紀伊國屋文左衛門の屋敷があつたと伝えられています。明治に入ると、荒廃していた邸地を三菱財閥創業者の岩崎弥太郎が買い取って庭園の造成を行い、社長を継いだ岩崎弥之助が手を加えて、現在の庭園の形が完成しました。同庭園は、激動の幕末から維新かけ所有者が転々と変わり、日本の近代郵便制度の創設者である前島密もその一人でした。

いつもの散歩道ですが、今日のように、幕末から明治維新にかけての時代を想像しながら道草しながら歩くのも楽しく、新たな発見がありました。寒空では、隅田川の群れからはぐれたカモメが舞っています。寒い日が続きますが、また新しい出会いを求め歩きたいと思います。

「これで再成長!新事業進出・虎の巻」11月号のご案内

今、経営承継研究部会のメンバーで、月刊誌「税理」((株)ぎょうせい、日本税理士会監修)「これで再成長!新事業進出・虎の巻」を執筆しています。
最新は12月号が出ており、最新の内容はサイトで紹介はできませんが、前月のものを紹介する企画にしました。
「税理」は、3万部の発行で、毎月20日に発売されます。税理士さん向け ではありますが、一般の方にもわかりやすいように書いています。
今回は、「これで再成長!新事業進出・虎の巻」、ープラス志向の出口戦略ー(第11回)「新事業進出と企業連携」です。

<内容要旨>
1.企業連携と新事業進出
2.企業連携の状況
3.企業連携の進め方
4.連携成功に向けての課題と対応

詳細は以下をクリックしてみてください。
sin1611s

zeiri1611

「みちくさ」江戸歳時記8

 9月「長月」、台風の上陸の多く、その影響を引きずったまま秋の長雨に入り、鬱陶しい日が続いています。9月末になって久々に晴れ間が現れ、やつと散歩に出ることができました。既に季節は秋となって、金木犀が香り、川縁を彼岸花が朱色に染めています。

東京で深川と言えば、江戸の風情や歴史への出会いを求めて、多くの人々が訪れています。今日は新たな発見をご紹介いたします。散歩コースの深川佐賀町には、気になるレトロな建物がいくつも残されています。よく調べると大正から昭和初期の建物なのです。

最初の建物は、永代橋から歩いて3分の所にある「村林ビル」です。会社の目の前にあり、年季の入った外壁のタイルと玄関のテラコッタが私を毎朝出迎えてくれます。「村林ビル」は、肥料などを扱う村林商店の自社ビルとして1928年(昭和3年)に建てられたものです。マンション街の中に突如として現れた、まったく場違いと言えるレトロな建物なのです。現在は劇団の練習場として使われ、テレビドラマなどのロケでよく使われています。設計者は、旧亀井喜一郎邸1921年(大正10年)や多摩聖蹟記念館1930年(昭和5年)などを設計した関根要太郎氏です。同氏の作品には、ドイツ表現派を始めとした、当時の最先端ザインが作風に多く取り入れられています。しかし、この「村林ビル」は、関根要太郎氏が新たな境地で設計した、玄関のテラコッタにユーゲントシュティルという様式を取り入れた貴重なロマネスク風作品です。特にロマネスクという古代様式を現代風にアレンジしたデザインが特徴です。

そのまま、3分程隅田川沿いに佐賀町河岸を歩くと、二つ目の建物「コスガビル」が現れます。1877年(明治10年)頃に深川佐賀町に米問屋として創業した小菅家が関東大震災の翌年の1924年(大正13年築)に建築したビルです。作者は分かりませんが、今はレトロなギャラリーとして親しまれています。いろいろイベントが催され、大正時代が蘇るようです。時代は変わつても「コスガビル」は、小菅家の暮らしとともにあり、このレトロな装いのまま現代を生き続けています。

さらに、高速道路に沿って富岡八幡宮に向かつて歩くと、三つ目の建物「深川東京モダン館」が迎えてくれます。「深川東京モダン館」は、1932年(昭和7年)に建築された東京市深川食堂を改修したものです。このような公営食堂の建設は、大正時代に諸物価が高騰したことで人々の暮らしが苦しくなったことで計画されました。ここでは、建物だけではなく深川の近現代史や食文化に関連した数々の展示やイベント、喫茶室でのおいしいコーヒーを楽しむことができます。

そろそろ時間が来たようです。深川は忘れ去られたレトロな建物が今なお使われ、静かに大正・昭和の昔を伝えています。神社仏閣、レトロな建物、マンション街、そして運河とさまざまな顔を持つ深川、次の出会いを楽しみに帰途に着きました。

   村林ビル                コスガビル               深川モダン館

F11  F12  F13

「これで再成長!新事業進出・虎の巻」9月号のご案内

今、経営承継研究部会のメンバーで、月刊誌「税理」((株)ぎょうせい、日本税理士会監修)「これで再成長!新事業進出・虎の巻」を執筆しています。
最新は10月号が出ており、最新の内容はサイトで紹介はできませんが、前月のものを紹介する企画にしました。
「税理」は、3万部の発行で、毎月20日に発売されます。税理士さん向け ではありますが、一般の方にもわかりやすいように書いています。
今回は、「これで再成長!新事業進出・虎の巻」、ープラス志向の出口戦略ー(第9回)「新事業進出の組織開発と人材確保」です。

<内容要旨>
1.新事業進出への課題
2.組織運営での障害と問題
3.新事業進出のための組織形態
4.新事業進出と組織開発
5.新事業進出のための人材確保

詳細は以下をクリックしてみてください。
sin1609s

zeiri1609

事業部紹介

経営承継事業部は、円滑な経営承継を実現するための、コンサルティング・セミナー・執筆研究を実践する経営コンサルタントのグループです。
経営承継、円滑な経営承継を実現するための経営革新、後継者に選ばれる企業にするための企業再生などの一体的商品開発により、クライアント満足を優先させることを基本方針として貫いています。

詳細はこちら >

執筆者

月別アーカイブ

このページの先頭へ