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執筆者:野崎 芳信

「これで成功!健全廃業・虎の巻」6月号のご案内

今、経営承継研究部会のメンバーで、月刊誌「税理」((株)ぎょうせい、日本税理士会監修)「これで成功!健全廃業・虎の巻」を執筆しています。
最新は6月号が出ており、最新の内容はサイトで紹介はできませんが、前月のものを紹介する企画にしました。
 「税理」は、3万部の発行で、毎月20日に発売されます。税理士さん向け ではありますが、一般の方にもわかりやすいように書いています。
今回は、「これで成功!健全廃業・虎の巻」、第2章廃業を意識した時に取り得る四つの選択肢(第6回)「第二創業で後継者を引き留める」です。

<内容要旨>
1.現状分析と出口戦略の検討
2.第二創業とは
3.現経営者・後継者・主力事業との関係
4.第二創業の手順
5.第二創業のポイント(現経営者の場合)
6.第二創業のポイント(後継者の場合)
7.成功事例から

詳細は以下画像をクリックしてみてください。

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武蔵国国分寺

東山道武蔵路 武蔵国国分寺武蔵国国分寺7重塔

    東山道武蔵路          武蔵国国分寺        武蔵国国分寺7重塔

ここのところ、東山道ネタが興味深く、今回も体力作り散歩の参考として、取り上げました。

下野の薬師寺は弓削の道鏡が流されたお寺として有名ですが、日本3戒壇院として、奈良・福岡・栃木に置かれたものの一つだったそうです。これとは別に、聖武天皇の詔により全国に国分寺が置かれました。栃木の国分寺は現在の下野市天平の丘公園に跡が残っています。車で行くと、近くの住宅地の中に東山道跡が整備されています。

埼玉県の国分寺はどこにあるのでしょうか。実は、武蔵国は現在の東京と埼玉を合わせた地域であり、武蔵国国分寺は東京、武蔵野線沿線の西国分寺から歩いて行ける所にあります。その途中に、東山道の上野国新田からの支線「東山道武蔵路」の復元遺跡があります。大規模マンション計画地の真ん中に位置していたため、公園として残したそうです。不思議な空間です。

緑豊な国分寺崖線を下ると、国分寺があります。この建物は、旧国分寺の金堂跡に新田義貞が再建したことに始まるそうですが、その後何度か再建されているようです。敷地の中には資料館があり、七重塔のレプリカが建っています。

当初の国分寺跡は、現在の国分寺の南側に大きな公園として残されています。桜の大木が立っており、華やかさを残しています。

東京の一部とは思えないような田園の雰囲気を楽しみつつ、崖線沿いの真姿の池湧水群を巡ると、この地が、天平時代から豊かであったことが想像されます。きれいな水の小川沿いに野菜の直売所があり、地震などの天災にも強い土地柄が伺えます。川沿いに進むと、ふくろう・みみずくを飼っている喫茶店もありかつての鷹狩の地を思い浮かべます。

国分寺駅前まで戻ると、駅前に三菱財閥の岩崎家の郊外の別荘だった、「殿ケ谷戸庭園」があります。南斜面で陽の光を大きく受ける明るい地形で、開放感溢れる大胆な庭は、武蔵野の山野を思わせる芝の庭から、谷地の水の流れまで心憎い設計です。やはり日本は水の国です。水の大切さを実感する散歩が楽しめます。

武蔵国一之宮は、ここから北上した府中の大国魂神社と案内されています。

「ゴルフ場」の利益計画(税理平成26年6月号)

税理士向け専門月刊誌「税理」(ぎょうせい刊)では、実務向けの連載として、「利益計画」が長きに亘り連載されております。

取り上げられる業種は、製造業から卸売業・小売業そしてサービス業とバラエティに富んでおり、関連する業界データも豊富で、読み物としても面白く、読者である税理士の先生からの反響も良いと聞いております。

今回は、利用人口の減少に直面している「ゴルフ業界」を採り上げました。(執筆者:野崎 芳信)
 内容は以下の通りです。
1・ 業界の概要
2・ モデルA社の概要
3・A社の利益計画と問題点
4・問題点改善の具体策
5・利益経過への改善効果
6・改善後の利益計画

詳細は↓をクリックして下さい。

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安曇氏(阿曇氏)

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秋に安曇野の旅をしました。安曇野市穂高の穂高神社には、本宮の若宮に阿倍比羅夫が祀られています。日本書紀によれば、将軍として東国の蝦夷に遠征し樺太まで平定(?)している人物です。その後、中大兄皇子の百済の支援の戦いのため、ともに朝鮮半島に渡りましたが、白村江の海戦にて、新羅と唐の連合軍に大敗し、現地で戦死しました。神社の杜には銅像が建っています。海軍と山は不釣り合いですが、どんな関係なのでしょうか。

安曇氏(阿曇氏)は、古代海人族です。海神「綿津見命」を祖とする古代日本を代表する有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋字阿曇郡(現在の福岡市東部)とされています。安曇の名は海人津見(あまつみ)が転訛したもので、海人(海洋民族)が津見(住んでいる)古語とする説があるそうです。日本書紀では、応神天皇の項で「海人の宗に任じられた」、古事記では「安曇連は綿津見神の子、宇津志日金そ(木偏に訴の造り)命の子孫なり」とされています。

安曇氏は海と川を辿り移住した地とされる場所は、(福岡県の)阿曇から始まり、(長野県の)安曇・(岐阜県)厚見・渥美(三河国)・泉(和泉国)・(伊豆半島の)熱海・(福島県)安積・飽海(出羽国)など広く分布しています。ヤマト政権の拡大と関係しているとの説もあります。阿部比羅夫戦死後、安曇氏の本拠地は長野の安曇野に移ったのです。銅像の近くには、道祖神が夫婦和合の姿を示しています。

那須の東山道を歩いていて、当時の大和政権の様子が気になって、歴史書を読んで驚きました。東山道をはじめとする五畿七道は、7世紀中頃には建設が始まり、租庸調の税の納付のルートとして、兵隊の移動に、重要な意味を持っていたのです。当時の東山道のルートは、近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野の国を進みます。信濃では、諏訪から和田峠を通って上田に抜けており、安曇野はルートにはのっていませんが、安曇野は、兵の供給元になっていたようです。

那須國造碑にしても、安曇氏の広がりにしても、当時の東山道というインフラなくては成立しなかったようです。圧倒的な軍事力と、独裁政権が産んだ道路網は、今や田畑の下に埋もれています。一度近くの遺跡を訪れてはいかがでしょうか。東山道武蔵路の遺構は、中央線西国分寺駅から武蔵国国分寺への散歩道にあります。
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/kouen/1005196/1004221.html

経営力アップ講座(第3回)

平成25年5月号から6回に亘り、東京都製本組合様の機関誌「製本界」(隔月刊)に、
「経営力アップ講座」を連載しました。
本コーナーで、順次公開致します。
今回、ご紹介するのは、「製本界」平成25年9月号(第3回)です。
テーマは、「事業計画の作成」です。
執筆は、当経営承継事業部の野崎芳信(中小企業診断士)が担当しました。
内容は、
1)  事業計画策定で、変化からチャンスへ
2)  外部環境と経営資源の分析
3)  環境変化に強い事業計画
4)  過去の数字をどう使っていくか
5)  数値計画シミュレーション
6)  ファイナンシャルプロジェクション
となっております。
詳細は、以下をクリックしてください。

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事業部紹介

経営承継事業部は、円滑な経営承継を実現するための、コンサルティング・セミナー・執筆研究を実践する経営コンサルタントのグループです。
経営承継、円滑な経営承継を実現するための経営革新、後継者に選ばれる企業にするための企業再生などの一体的商品開発により、クライアント満足を優先させることを基本方針として貫いています。

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