経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

世界遺産巡り③ ハワイ火山国立公園(ハワイ島)

世界遺産とは「地球の生成と人類の歴史によって生み出され,過去から引き継がれた貴重な資産」と定義され、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類があります。

今回はアメリカ合衆国のハワイ島にある自然遺産「ハワイ火山国立公園」を紹介します。
ハワイ火山国立公園は、133,200haの保護区内にキラウエアとマウナロアの二つの巨大な活火山を有し、1987年に世界遺産に登録となりました。

キラウエア火山は、1983年1月3日以来活発に噴火をしていますが、「世界で最も活発な火山」だが「世界で最も安全に見れる火山」といわれており、火口から出た溶岩が海岸まで流れることで有名です。

1枚目の写真は、周囲12kmをようする巨大なキラウエア・カルデラの中心にある円弧(直径1㎞)のハレマウマウ火口です。2018年の噴火で大きく陥没しています。近くで活火山を見ることが出来る世界でも珍しい場所です。

2枚目の写真はカルデラの外周にある道路(チェーンオブクレーターズロード)と溶岩です。

マウナロア火山は、富士山よりも高い4169mの火山で、地球上で最も体積(約75,000k㎥)の大きい山です。直近の2022年11月27日に38年ぶりに噴火しました。

因みに国立公園内にある米軍教育施設であるキラウエア米軍キャンプでは、太平洋戦争中にはハワイ島の日系人が収容されていました。歴史上は様々な悲劇があった場所ですが、現在は壮大な地球を感じることができる自然豊かな島です。

志賀島(福岡)

 

志賀島全景              志賀島側から福岡市を望む

 

金印公園内のレプリカ         金印公園内レリーフ(漢委奴国王)

大寒の時期を迎え、寒さがいよいよ本番の季節になりました。少し時間が経ってしまいましたが、年末年始に郷里の福岡に帰省した際に訪れた、実家の目と鼻の先にある「志賀島」をご紹介いたします。教科書にも出てくる(現在も載っているのでしょうか?私の学生時代はありました)国宝「漢委奴国王」の金印が出土したとして有名な場所です。福岡市東部にあり、砂州により陸続きになっている陸繋島で、片側1車線の道路だけで本土とつながっています。車に乗り島に向かっていくと、片側は波が荒い玄界灘、反対側は内海の穏やかな博多湾と見事なコントラストを感じることができます。そもそも北部九州、福岡は古代から大陸文化の窓口として外国との交流の中心、また、海上交通の出発点と重要な位置を占め、多くの史跡が残されています。

江戸時代に地元のお百姓さんが水田の耕作中に偶然に金印を発見したと伝えられる場所は、現在金印公園として整備されています。1世紀ころに執筆された「後漢書」に記述がある金印が、江戸時代に土中から偶然見つかるという時空を超えたミステリーは、現地に立つと何だかより真実味を帯びてきます。

また、パワースポットとされる志賀海神社は、神代より「海神の総本社」「龍の都」と称えられ、玄界灘に臨む海上交通の要地である博多湾の総鎮守として篤く信仰されてきました。参拝する際は、清められた浜砂である御潮井を身体に軽く振ってから参拝します。また、春と、秋に執り行われる祭事「山誉祭」の神楽歌においては、{君が代は、千代に八千代に・・}と歌われており、現在の国家「君が代」のルーツと言われています。

志賀島までのアクセスは、福岡市中心部からも車で40分くらいと近く、海沿い12キロの周遊道路は、博多湾から玄界灘を望む海の色がきれいなドライブコースです。私にとっては、大学時代に友達と福岡市内のキャンパスから授業をさぼって何度も訪れた思い出深い地です。

センチメンタルジャーニー(5) クラウゼビィッツ著「戦争論」

昼食の時、たまたまテレビのスウィッチを入れたら、昔なつかしいオードリー・ヘプバーンが現れた。5分程見て昔見たトルストイ原作「戦争と平和」と気づいた。貴族・住民は、食料を持ち出し、住宅に火を放ち地方へと避難した。モスクワに迫ったナポレオンは、「兵士よ!あれがモスクワの火だ」と鼓舞したか否かは不明であるが、入城したモスクワ市街は焼け落ち住むところなく、食料もない。冬将軍の到来で戦わずして、ナポレオン軍は雪の原野の敗残兵となりフランスに逃げ帰った。
プロイセン王国(現在のドイツ)の兵士クラウゼヴィッツは、ナポレオン戦争に参戦し、戦後は陸軍大学の校長を務めながら、「戦争論」を執筆した。当時は、騎士同士の戦いから国民国家同士の戦いへの移行する混乱期にあり、戦略論の理論化に価値があった。西のクラウゼヴィッツと比較される東の戦術家「孫子」も春秋時代後期の戦乱期に活躍した。
読んだ本は,岩波文庫全3冊(篠田秀雄訳 上中下1232ページ)の大作である。特に印象の残った内容は、撤退戦略である。撤退は恥であるとして無理をして損害を大きくした日本軍の戦術に対し、戦争論では戦線を縮小し兵站を強靭にして兵力を集中させることで反抗力を強化する戦略であると喝破した。
孫氏の兵法と同じように、クラウゼヴィッツの戦争論も経営戦略・経営戦術に大きな示唆を与える著書である。
戦場は不確実であり、現場の司令官の即断・即決力が求められる。⇒VUCAの時代、稟議で時間を浪費する日本企業は海外の経営者をいらいらさせる。
戦場は、不確定要素「戦場の霧」で覆われており、作戦計画の達成の障害や脅威となる「戦場の摩擦」が生じ、司令官は霧の迅速・的確な把握力、決断力が求められる。⇒経営者は、市場環境の変化の「的確・迅速な把握力」と大胆な対策の「決断能力」が要求される。
クラウゼヴィッツの戦争論は、経営者に経営戦略の実行に重い示唆を与える書である。

発電所見学

蓄電発電

見学案内

世界各地の再生可能エネルギー発電所の記事を書いてきました。今回は、先日訪問した産業廃棄物中間処理工場のレポートをします。埼玉県三芳町に所在する石坂産業(株)の本社処理施設です。(農商工連携プロジェクトの企画エベントです)
先代の作った焼却型産業廃棄物処理施設が、ダイオキシン発生施設とテレビで事実と反する報道をされたことから、事業の見直しを行い、焼却処理から撤退、家屋・建築物の再生を目指しました。現在、再生比率98%まで進め2%を県外の最終処分場に搬出するまで処理しているとのことでした。使用しているエネルギーの再生可能エネルギー比率は100%を達成しています。
工場見学と周辺の里山(三富今昔村)散策のいくつかのコースが設けられてますが、今回は工場見学と里山産アイスの試食コースでした。若手社員の案内は丁寧にできていました。
再生エネルギーの有効活用のサイクルの一つとして、「蓄電」が大きなテーマとなっています。電気利用の時間的偏りと、太陽光のように発電可能時間・季節に偏りの電気エネルギーの保管として蓄電が大きな意味を持ってきました。余った電力の蓄電は、従来鉛電池の世界でしたが、「全個体電池」が大きな地位を占めるようです。その他、水素・揚水ダムなどがあります。
石坂産業は、施設内はエネルギー源は電気、重機には、天井からコードがついています。夜間電気を活用し充電、日中作業で利用します。重機は日立建機とタイアップし、試作品を使っています。最新の技術を導入できるメリットを享受しています。
ドッグランのある三富今昔村、レストランも是非楽しんでください。

世界遺産巡り② 軍艦島

世界遺産とは「地球の生成と人類の歴史によって生み出され,過去から引き継がれた貴重な資産」と定義され、文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類があります。

今回は長崎にある文化遺産「端島炭鉱」(通称 軍艦島)を紹介します。
軍艦島は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の全国8県に分散する構成遺産のうちの1つとして世界文化遺産に登録されました。

軍艦島の歴史は、1810年に岩礁だった端島に石炭が発見されたことから始まります。1890年三菱が買収し、海底炭鉱の採掘と島の埋め立てを開始しました。

出炭量の増加に伴い居住設備と人口が増加、1916年に日本初の鉄筋コンクリート造りの集合住宅を建設、1960年には人口5,267人と東京都に人口の9倍以上の人口密度となりました。

その後石炭から石油へのエネルギー革命により衰退し、1974年に閉山し無人島となりました。島には廃墟となった建物が当時のまま残っています。

正式名称は端島ですが、長崎造船所で建造の軍艦土佐に似ていたことから軍艦島の名がつきました。

3枚目の写真は、軍艦島と同じく文化遺産に登録となった長崎造船所がある長崎港の夜景です。安土桃山時代から江戸時代を通じ貿易港として栄え、明治時代には富国政策の一端を担い、昭和時代では原爆被災地となった長崎ですが、2022年の日本新三大夜景に選出された美しい街です。

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