経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

ピラカンサスと秋の野鳥たち

ヒヨドリ                                                                                                ツグミ

ひよどり            つぐみ

  メジロ                                          オナガ

めじろオナガ

 

 6月まで発生しなかった台風は、7月以降、毎月5個以上発生していましたが、10月になって、朝晩の気温も下がり、北からの紅葉の便りも届き始めるようになり、過ごしやすい陽気になってきました。

庭に植わっているピラカンサスの実が真っ赤に熟すころになると、多くの野鳥が集まってきます。庭に来る主な野鳥は、頭の毛が逆立っているヒヨドリや、北の国から大群で渡ってくるツグミ、目の周りが白いメジロ、綺麗な水色のオナガなどです。

 ピラカンサスの実は10月から11月にかけて赤く色づきますが、鳥たちはまだ食べに来ません。実は、ピラカンサスの実には青酸系の毒(青酸配糖体)があるそうで野鳥たちはそれを知っているようです。さらにその毒は、実が熟す翌年の1,2月には消えて美味しくなり、野鳥たちはそれを待っているのです。

 ヒヨドリは、元々関東では、10月に渡来し、4月に北に渡る冬鳥でした。温暖化の影響かわかりませんが、留鳥として一年中棲むようになりましたが、今も秋には多くのヒヨドリが北海道から渡ってきます。

 ツグミは、10月ごろ、シベリアから大群で渡ってくる冬鳥です。日本へ着くと群れを解いて平地に生息し、3月になると再び群れて北へ帰ります。冬鳥なので日本ではさえずりをせず、口をつぐんでいるので、ツグミと呼ばれるようになったといわれています。

 メジロは、目のまわりの白いフチドリが特徴で、からだは、あざやかな黄緑色をしています。そのためウグイスと間違える人もいますが、ウグイスの羽色は緑よりも暗緑茶色で、いわゆるウグイス色ではありません。メジロは、10cmほどの小鳥のためピラカンサスの実をついばんでいると、あとから来たヒヨドリなどに追っ払われています。

 庭に数羽の群れで来ることが多いオナガは、全長30cm以上で、頭が黒く、ブルーグレーの翼と長い尾が特徴です。カラスの仲間なので学習能力は高く、スマートで綺麗な外見です。鳴き声は、「ギィーッ」と悪声ですが、これは警戒音声だそうです。オナガが群れで来ると、庭のピラカンサスの赤い実は1日でなくなってしまいます。

「みちくさ」江戸歳時記8

 9月「長月」、台風の上陸の多く、その影響を引きずったまま秋の長雨に入り、鬱陶しい日が続いています。9月末になって久々に晴れ間が現れ、やつと散歩に出ることができました。既に季節は秋となって、金木犀が香り、川縁を彼岸花が朱色に染めています。

東京で深川と言えば、江戸の風情や歴史への出会いを求めて、多くの人々が訪れています。今日は新たな発見をご紹介いたします。散歩コースの深川佐賀町には、気になるレトロな建物がいくつも残されています。よく調べると大正から昭和初期の建物なのです。

最初の建物は、永代橋から歩いて3分の所にある「村林ビル」です。会社の目の前にあり、年季の入った外壁のタイルと玄関のテラコッタが私を毎朝出迎えてくれます。「村林ビル」は、肥料などを扱う村林商店の自社ビルとして1928年(昭和3年)に建てられたものです。マンション街の中に突如として現れた、まったく場違いと言えるレトロな建物なのです。現在は劇団の練習場として使われ、テレビドラマなどのロケでよく使われています。設計者は、旧亀井喜一郎邸1921年(大正10年)や多摩聖蹟記念館1930年(昭和5年)などを設計した関根要太郎氏です。同氏の作品には、ドイツ表現派を始めとした、当時の最先端ザインが作風に多く取り入れられています。しかし、この「村林ビル」は、関根要太郎氏が新たな境地で設計した、玄関のテラコッタにユーゲントシュティルという様式を取り入れた貴重なロマネスク風作品です。特にロマネスクという古代様式を現代風にアレンジしたデザインが特徴です。

そのまま、3分程隅田川沿いに佐賀町河岸を歩くと、二つ目の建物「コスガビル」が現れます。1877年(明治10年)頃に深川佐賀町に米問屋として創業した小菅家が関東大震災の翌年の1924年(大正13年築)に建築したビルです。作者は分かりませんが、今はレトロなギャラリーとして親しまれています。いろいろイベントが催され、大正時代が蘇るようです。時代は変わつても「コスガビル」は、小菅家の暮らしとともにあり、このレトロな装いのまま現代を生き続けています。

さらに、高速道路に沿って富岡八幡宮に向かつて歩くと、三つ目の建物「深川東京モダン館」が迎えてくれます。「深川東京モダン館」は、1932年(昭和7年)に建築された東京市深川食堂を改修したものです。このような公営食堂の建設は、大正時代に諸物価が高騰したことで人々の暮らしが苦しくなったことで計画されました。ここでは、建物だけではなく深川の近現代史や食文化に関連した数々の展示やイベント、喫茶室でのおいしいコーヒーを楽しむことができます。

そろそろ時間が来たようです。深川は忘れ去られたレトロな建物が今なお使われ、静かに大正・昭和の昔を伝えています。神社仏閣、レトロな建物、マンション街、そして運河とさまざまな顔を持つ深川、次の出会いを楽しみに帰途に着きました。

   村林ビル                コスガビル               深川モダン館

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カンボジア雑感

DSC01206(王宮)DSC01522(起業家)

 王宮                            農村の創業者

DSC01513(農村)

 昔からの農村

8月20日~24日にカンボジアを訪問する機会がありました。首都プノンペンとその周辺を廻りましたが、アジアの今を実感し、また訪れたいと感動しました。

今回の目的は、世界で話題になっているマイクロファイナンスの勉強でした。その内容につきましては、カンボジアでは最近延滞率が上がっていること、原因は支援バブルでマイクロファイナンス機関に世界からお金が集まっており、多くの機関で安易な貸出が横行し貸出時点の取り組みが疎かになっているためと説明がありました。訪問現場でのミーティングで、初動の丁寧さとフォローアップの大切さを共有できました。

長谷川先生のコラムで、先端の動きが掲載されていますので、私は初めて訪れたASEANで最後の発展余地が残った国の一つカンボジアの印象を記載します。

子供を大切にする若々しい国というのが、空港からホテルまでの自動車の中から覗いた初印象です。その後、バイク三人乗りで子供を間に挟んで移動している姿や、王宮前広場やチャオプラヤ河岸の遊歩道を若い夫婦が子供連れで散歩する姿や、弟妹の子守する長子の輝く眼が国の未来を示していると感じました。

ただ、中国資本を始めとした首都の開発投資は目で見ても爆発的です。中央部には銀行の超高層オフィスビルが2つ完成しており、計画は続いているとのこと。新都心開発でイオンや東横インも進出していますし、郊外には広大な沼地を埋め立てる再開発計画や、経済特区で縫製工場をはじめとする世界の工場が田畑に進出しています。景気減速期のマイナスが少ないことを祈るばかりです。

農村は副業の現金収入で、木製の柱はコンクリート造になっています。参加者の一人は日本のNGOでシェムリアップ地方の小学校に体育の普及活動を図っている方で「子どもたちには学ぶ機会が男女や地方格差があること、高年齢者には内戦の影響で読み書きできない人が多いこと」など現場の情報も貴重です。

訪問先の農村では、24歳の女性が首都で仕立の修行をし、マイクロファイナンスの資金を元にミシンやバイクを求め、地元で開業している経過を本人から聞きました。日本でも戦後こんな形で中小企業が育ったのでしょう。日本からは若い人材が、カンボジア工場立ち上げで活躍している話も聞いています。

首都プノンペンへは、2016年9月1日からANAが成田から毎日直行便を就航します。ガイドの話では、円安で日本からの観光客が減っているようです、これを機会に是非アンコールワットなど行っては如何でしょうか。

FACEBOOKに見るカンボジア人と日本人

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カンボジアに滞在し帰国すると、カンボジア人はどんな人たちですかと質問される。帰国した人は、カンボジア人はこんな人たちですよと、一般化して答える。別の人は自分なりに、一般化した違った国民性を説明する。お互いに、自分の狭い経験の中で、自分の眼鏡を通して最大公約数の国民性を説明することになる。現実は百人百様であり、一言で説明はできませんと言うよりは、自分なりの印象で国民性を知らせるほうが親切と言えるでしょう。

カンボジアの知人のお誘いで、FACEBOOKに登録したのは2011年であり、それから5年が経過したことになる。2010年にカンボジアの首都プノンペンで1か月間にわたりロジスティクスをテーマに、現地企業を訪問して40人の診断実習生の講師をした。参加者は企業の中間管理職や大学の講師たちで、サラリーマン・ウーマンタイプの人達が第一グループです。活動範囲が狭く、自分の日常生活の報告より、知的好奇心を駆り立てるデジタル情報をシェアして流すことが多くなっている。

第2グループは、2016年2月に研修で来日した創業経営者グループで、自分の仕事の活動状況を積極的に流している。仕事の広報活動に、FACEBOOKを有効活用している。広報活動であり相手を選ばないため、フォロワーが多いのも特徴と言える。個人情報の意識がないのか、友人・知人を含めての人物像が多いのも特徴といえる。

第3のグループは、古い付き合いの中小企業診断士グループです。個人情報を意識してか、他人の顔写真は少なく風景写真の多さが特徴です。その昔、一緒に活動していたころは知りえなかった個人的な一面を見えるところに楽しみがあります。

この様に狭い範囲での接触ですが、同じSNSを通して国民性の違いを見ることができる。職業の違いや年齢の違いを反映しているとはいえ、外国人にとっては国民性として捉えられることはやむを得ないことでしょう。外国人と接するときは、日本人を代表する民間大使のつもりで接することが求められているように思います。

私自身は、個人的な仕事や趣味の場面を流すと同時に、日本の四季の移り変わりを流し、日本への興味を持っていただけるように心がけています。

梅雨

額紫陽花紫陽花

        額紫陽花                               紫陽花

田園                         田園

6月5日(日)、気象庁から「関東甲信地方は梅雨入りしたと見られます」と発表がありました。この「梅雨」という言葉は、中国から伝わってきた言葉で、中国語も日本語も同じ漢字表記です。語源は諸説ありますが、中国の揚子江の中・下流域で、梅の実が熟す時期に雨期があり、それを梅雨というようになったと言う説があります。

曇りや雨の多い梅雨は、ジメジメしてうっとうしく感じる季節ですが、木々や草花の緑が増し、生命の息吹を感じる季節でもあります。雨に濡れた紫陽花はとても美しく、梅雨の季節ならではの風景です。紫陽花は日本固有の花でしたが、長崎に来たシーボルトが、海外に紹介して以来、西洋でも親しまれるようになり、様々な品種改良を経て日本へ逆輸入されるようになりました。

手まり状の花は、「西洋あじさい」。日本原産の「額あじさい」は、中心部にあるものが花で、その周辺部にある小花のように見えるものは額です。紫陽花の花の色は、土がアルカリ性なら赤、酸性なら青になるといわれます。日本の土壌がやや酸性のため青や紫のアジサイが多いそうです。

 日本人の主食である米にとっても、この時期の雨は天からの恵みであり、梅雨に雨が降らないと、夏は水が不足になり、稲も育ちません。日本人の食糧自給のためにも、梅雨は非常に大切な季節なのです。

日本は、年平均1718mmの降水量があり、これは世界平均(880mm)の約2倍に相当します。また、日本の降水量は、梅雨期と台風期に集中していて、例えば東京の月別平均降水量は、最多雨月の9月では、最少雨月の12月に対して5倍もあります。

しかし、日本は水資源に恵まれた国という印象ですが、人口が多いので、一人あたりの降水量は世界平均の約1/4です。さらに、国土は2/3が山地で河川が急峻なため、降った雨は数日で川を下り海まで流れてしまいますので利用できる水資源は限られています。

このように、日本は降水量が多いとはいえ、けっして水環境に恵まれているとは言えないのです。今年の関東地方は冬の積雪量が少なかったことと、5月以降の少雨が原因で、ダムの貯水率は半分以下だそうです。このままですと、6月中旬から取水制限になるかもしれません。利根川ダム統合管理事務所の渇水対策支部は「蛇口を早く閉めるだけでも効果がある」と協力を呼びかけています。大切な水資源を有効に使うため節水を心がけていきたいと思います。

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経営承継事業部は、円滑な経営承継を実現するための、コンサルティング・セミナー・執筆研究を実践する経営コンサルタントのグループです。
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