経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

ボナリ高原

母成峠古戦場碑

母成峠古戦場碑

ボナリ高原ゴルフクラブ OUT3番コース

ボナリ高原ゴルフクラブ
OUT3番コース

 「ボナリ高原」と聞いて、「ピン」とくる人には、3種類いるはずです。                                       一つは、相当歴史に詳しい人です。                                                         「ボナリ」と聞くと外国の地名のようですが、「母成」と書きます。歴史上で有名なのは、「母成峠の戦い」(慶応4年8月21日)で、会津戦争戊辰戦争)の戦いの一つです。会津藩境の母成峠(現・福島県郡山市猪苗代町)を守る旧幕府軍800が新政府軍2,200と戦うのですが、兵力及び兵器の差で勝てず敗走し、新政府軍は若松城下に殺到する結果となりました。

 

二つは、NHKの大河ドラマをよく見る人で、「八重の桜」でも描写されました。                                 第23回放映「白河口の戦い」、第24回放映「二本松の戦い」、第25回放映「母成峠の戦い」、第26回放映「鶴ヶ城籠城戦へ」、第27回「鶴ヶ城籠城戦」と続きました。「ボナリ」が最後の砦であったことがわかります。

三つは、ゴルフが大好きな人です。                                                          昨年9月30日の日経新聞に、「ゴルファーが挑みたい名物ホール 東西ベスト5」という特集記事があり、東の第一位に選ばれたのが、「ボナリ高原ゴルフクラブ」の「OUT3番ホール」でした。私は、これに「ピン」ときました。「OUT3番ホール」は456ヤードのパー5。「怪物ホール」の異名を持ち、ドライバーで220ヤード以上飛ばせるロングヒッターならティーグラウンドから断崖越えを狙えます。「断崖越えのスリル、豪快さは比類がない。正面に磐梯山、背後には安達太良山が位置し特に秋色がまばゆい」、「これほどまでにワイルドなホールを有するコースはほかにない」などの高い評価がありました。この記事を見たゴルフバカの私はもうソワソワです。

一年後、念願が叶いプレイすることができました。福島に勤務する息子を誘い、10月30日、「OUT3番ホール」に立ちました。目の前に拡がるのは深い谷です。まわりの木々や葉っぱは赤や黄に輝く錦色の世界ですが、目に入りません。深呼吸して、ドライバーを振りました。ボールはスライスして、谷底に消えました。でも、大満足です。                                 目標が出来ました。来年もチャレンジです。腹筋・背筋を鍛え、股関節の可動域を拡げ、キャリーで220ヤードを超えるスイング改造です。

ハトムギ

ハトムギ1ハトムギ2

ハトムギの花                ハトムギの実

隠れた自然食「ハトムギ」をご存知ですか。利尿効果もあり健康によく、更に美肌効果があるということで、日本各地で地域おこし商品として栽培され、料理の素材やハトムギ茶等に利用されています。

 ハトムギ、玄米、月見草、爽◯◯茶・・・。のコマーシャルの最初に出てくる、漢方薬として認められている香り高く薬効ある材料です。カフェインが入っていないこともあり人気が高く、ハトムギ入のペットボトル茶は、飲料メーカー各社の定番長寿商品になっています。

 日本で栽培されるようになったのは、江戸時代からで、漢方薬「ヨクイニン」の原料としてで、中国か朝鮮半島経由と言われてきました。現在は遺伝子による解明が進んでおり、現在日本で栽培されている品種は、朝鮮半島系とされています。

 コメ・大豆の連作障害の防止になるとして昭和56年の水田転作奨励の重点政策作物に指定されたことから、各地で注目されました。しかし、昭和62年には指定解除となり、現在に至っています。その後も栽培を続けてきた栃木県小山市(私の生誕地)が生産高第一位でしたが、3.11の風評被害もあり、現在は首位の座を譲っています。

 実は、私自身就職してすぐにイボが出てきて、直すのにはハトムギが有効との話を聞き服用しましたが、程なく治癒、現在に至るまで再発しておりません。当時会社の前にある漢方薬局のお世話になりましたが、店主によれば、原因は中華料理の油と相性が良くなかったと言われました。

 そんな経験もあり、漢方薬の効果に疑いはありません。毎日飲むお茶にハトムギが入ったということで、爽◯◯茶発売後、しばらくは毎日飲んでいました。ただ、漢方薬には体質によって効果の大きな差があるので、医師・薬剤師の指導が欠かせないそうです。

 ハトムギの国内供給量は一時12千トンになりましたが、現在は10千トンで推移しています。大半がタイからの輸入で、国産は800トンで安定しているとのこと。こんなニッチな作物にも色々な歴史があることに驚きました。

 

 

 

 

「みちくさ」江戸歳時記

深川に仕事場を移って、2年になります。今までは、日本橋という江戸時代の中心地の呉服橋近くに勤務し、仕事の合間を見ては歴史探索を楽しみ、当時の思いに耽っていました。

深川では、内勤となったため、昼休みのウォーキングを日課としています。ところが、深川には江戸の時代の足跡がいたるところに遺されており、ウォーキングが「みちくさ」ばかりになっています。今回は、その中でも毎日歩いている「仙台掘川」を紹介したいと思います。

仙台堀川は、17世紀前半の寛永年間に深川猟師町開発で開削された運河で、隅田川からの入り口付近の北岸に仙台侯松平陸奥守の蔵屋敷があったことから、「仙台」の名がついたといわれています。この川は、江戸時代から米(宮城米)を中心とした食糧および木材等の運搬に利用され、隅田川、小名木川とともに、水運の要として機能してきました。そして、清澄公園近くの海辺橋のたもとには、松尾芭蕉が元禄2年(1689年)、「奥の細道」の旅の出発点としたとされる「採荼庵(さいとあん)」跡が残されています。季節は違いますが、秋めく青空のきぬ雲を仰ぎ見ますと、「草の戸も 住み代わる世ぞ 雛の家」(戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私にかわって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう)の一俳句を思い出します。「仙台掘川」に沿って「仙台堀川公園」が続いています。「仙台掘川公園」は、四季の花薫る都内最大級の親水公園です。春には全長900mの桜並木、ソメイヨシノ、カンヒザクラ350本が満開となり、川と桜のコラボレーションが楽しませてくれます。

残暑の厳しい日が続いていますが、歩いていると川面を吹く風からは、秋の気配が感じられます。不思議な光景ですが、赤いサルビアの花の横で小さな萩の紫の花が咲き始まっています。川辺では、ボラやハゼが群がり、たたった2羽ですが、ウミウのつがいが潜り漁にいそしんでいます。暑さを忘れさせるのどかな光景にこころ和ませながら、昔の廻船の賑わいを思い浮かべて歩くことも楽しいものです。

今「仙台掘川」は、季節が夏から秋に変わろうとしています。深川の小さな江戸の名残を楽しむため、散歩やウォーキングを楽しむ人達の姿が増えつつある今日この頃です。

写真1「採荼庵(さいとあん)」跡                  写真2「仙台掘川」

深川1深川2

 

 

 

のぼうの城

20000人 VS 500人!天下の豊臣軍にケンカを売った、でくのぼうがいた。
2012年に公開された映画「のぼうの城」のキャッチコピーである。
「のぼうの城」は、行田市にあった忍城(おしじょう)の史実をもとに小説・映画化されたものである。
天正18年(1590)年、豊臣秀吉は小田原征伐に乗り出した。北条氏の拠点である小田原城のほか、支城である山中城、韮山城、下田城、松井田城、岩槻城、鉢形城、忍城、八王子城を圧倒的な軍勢で攻めた。忍城については、秀吉方の武将、石田三成によって攻められることになった。
忍城は、北は利根川、南は荒川にはさまれた扇状地にあり、小さな川が乱流するとともに、伏流水が寄り集まって広大な沼地となっていた。
石田三成は23000余りの兵力で忍城を囲み、攻撃を開始したが、同城に通じる道は狭く、その左右は水田、しかも至る所に沼沢があり、進みかねた攻撃軍は城内から狙い撃ちされ、隊が乱すところを、打って出た城兵に撃退された。攻めあぐねた石田三成は、城を守る水を逆手にとって水攻めすることにした。
周辺村落から人夫を募り、昼は永楽銭60文と米一升、夜は永楽銭100文と米一升を支給して、突貫作業でわずか5日で土塁を築造させた。総延長14キロメートルにも及ぶ長大なものである。その一部は石田堤と称されて現存している。
さっそく利根川・荒川の水を堤内に引き込んだが、城兵を苦しめるほどの効果を上げるには至らず、数日後には暴風雨のため堤が決壊し、三成軍に水死者を多数出し水攻めは失敗に終わった。
小田原城が落城した後も持ちこたえたのは忍城だけだったが、小田原城中にあった忍城主の成田氏長が豊臣秀吉の勧めに応じて内応し書を忍城に送ったことで、ようやく開城して引き渡された。
石田軍の圧倒的な軍勢に対抗して忍城を守り切った城代、成田長親がでくのぼうだったかどうか、史実では明らかになっていない。しかし、地の利(強み)を生かし、民衆や家臣の力を結集させなければ、圧倒的な軍勢の前に守りきることはできなかったはずである。このことは現代の中小企業経営にも通じる。強みをしっかりと認識し、社員の力を結集させれば大手資本の進出にも負けない。
多勢に無勢でも屈せず奮闘する武蔵武士の姿を見ているだけでも、楽しめる映画となっている。是非一度ご覧ください。

ゴルフと経営戦略

川口市浮間ゴルフ場

川口市浮間ゴルフ場

下手の横好きで、ゴルフとの付き合いは20代後半から始めたので、かれこれ40年弱になろうとしています。ベストスコアは河川敷ゴルフ場の名門・浮間ゴルフ場で、独身 時代に出した奇跡の79(パー70)ですが、今は100を切れるかどうかのおじさんゴルファーです。

最近思うのは、「ゴルフがうまい社長は、会社経営もうまい」、ということです。ゴルフと経営には共通点があります。例えば、目標が数値化される点に着目すれば、ゴルフはスコア、経営では利益・キャッシュフロー。外部環境に着目すれば、ゴルフはコースや天候、経営ではマーケット・顧客・競合・仕入先等。使えるリソースが制約される点に着目すれば、ゴルフは自分のスキル、経営では人材・設備・キャッシュ、等々です。

しかし、ゴルフと経営とは明らかに違います。ゴルフは負けても、同じ失敗を繰り返しても許されますが、経営はそうはいきません。失敗は許されません。

最終18番ホール、ロングホールのセカンド、残り200ヤードの池越えグリーンをどう狙うか。ここをパーで上がれば、今日のコンペの優勝は確実というケースで、うまい・下手・戦略の有無の差が出ます。

下手な私は、グリーンを狙いフェアウェイウッドを使い池ポチャ。それでも1パットで凌げばパーで上がれるとピンをデッドに狙い、力んでトップしてグリーオーバー。難しい奥からの下りのアプローチは大きく外れ、3パットで結果は8と散々です。

一方、うまい社長は、セカンドを得意のアイアンクラブで刻み、アプローチは上りパットが残るように手前に打って、2パットのパーで優勝です。

ゴルフの大叩きの原因の多くは意思決定の誤りです。セオリーに基づいた戦略的な意思決定ができていれば、大叩きにはならないのです。

ゴルフのうまい社長の会社業績は右肩上がりです。なぜなら、ゴルフ談義も経営戦略の話にも共通性があり、マネジメントも経営改革もゴルフに喩えて話をすると理解が早いのです。今、私は社長からパターのコツを教わり、私は社長に経営革新のコツを話しています。

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