経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

花と人形の町・鴻巣

となり街「鴻巣」のキャッチフレーズは、「花と人形の町」です。
「花」は、花卉生産が盛んで、パンジーの産出額は7億円(平成24年度)で、日本一です。そ図1の他にも、家庭園芸でなじみの深いプリムラ・サルビア・マリーゴールドなどの出荷量がトップクラスだそうです。
ちなみに、鴻巣市の「市の花」はパンジーで、マンホールの蓋にも可愛らしいパンジーの花が彫刻されています。

「人形」については、埼玉県は「ひな人形」をはじめとする「節句人形」作りが盛んで、出荷額67億円で全国第一位・約46%のシェア(平成19年度工業統計製造品出荷額)を占めています。岩槻は「岩槻人形」として「節句人形」が著名ですが、鴻巣は「ひな人形」が有名です。

鴻巣市は関東平野のほぼ中央に位置し、約380年の伝統を誇る「ひな人形の町」としてその歴史は古く、旧中山道の「人形町」には多くの人形店が軒を重ねています。江戸時代には11軒だった鴻巣のひな屋は、明治時代に入りその繁栄ぶりは頂点に達し、明治35年発行の「埼玉県営業便覧」によると、越ヶ谷6軒・大沢(現在の越谷市)2軒・岩槻3軒に対し、鴻巣の人形業者31軒・職人300人という記録がその活況を伝えています。現在でも9軒のひな人形製造業者が頑張っているそうです。

さて、その頑張りの表れは、「びっくりひな祭り」です。今年で12回目の開催となる全国図2的にも有名になった「ひな人形で飾る日本一高いピラミッド雛壇」です。31段・高さ7mです。
以前は市役所のホールに飾られていましたが、今は、JR鴻巣駅の商業施設「エルミこうのす」の広場に飾られています。アクセスが良くなったので多く方がご覧いただけるようになりました。たくさんの人形は、市の広報誌などの呼び掛けに市内外の家庭から提供されたもので、その数約5000体超だそうです。主催は鴻巣市観光協会ですが、実行委員会がボランティアを募集し、皆さんできれいに飾り付けしたそうです。

昔からひな祭りは春の訪れを祝う行事でもあるので、立春の2月4日頃から飾り付け、3月3日が終わったら、早めに片付けます。今年の「びっくりひな祭り」も2月17日から3月6日までです。ぜひご覧になってください。

イラン訪問記

DSCN15971DSCN16111DSCN16422

平成27年11月19日より26日までの8日間、中東のドバイとイランを訪問した。現地での実質的な滞在期間は、ドバイ1日とイラン5日でした。イスラム国の訪問は、平成23年のウズベキスタンに続く2カ国目です。

ドバイは、アラビア海に面した砂漠の中のオアシスであったが、近年金融センター、高級リゾート地、ハブ空港として名を成し、巨大ショッピングモールも繁栄している。しかし、今回の原油価格の大幅下落で、砂上の楼閣になるか、行く末を見守りたいものです。

イラン国際空港を降り立つと、イスラム教の指導者ホメイネ師とハメネイ師の巨大写真のお出迎えです。マスコミ報道とは対照的に、市中では軍人・革命防衛隊・警察官の姿は見当たらない。10名前後の人が、家族の反対で訪問団に参加できなかったが、外見上は平和そのものです。小銃を持った軍人との遭遇は、世界文化遺産に指定されている橋(写真真ん中)のふもとの警察官詰め所で1名見かけただけでした。

イラン訪問の主目的は、ビジネスチャンスの開拓で、日本の諸機関(大使館、日本貿易センター、JICA,JETRO)訪問に加えて、イランの自動車メーカー、中小企業支援機関を訪問した。世界文化遺産に指定されている、古代ペルシャの遺跡訪問は副次的目的です。しかし、写真としてあるいは心象としてのイメージは、ペルシャ文明の文化遺産です。

イスラム寺院や王族の宮殿の共通点は、建物の入り口前の水を湛えた巨大な長方形の池でしょう。砂漠の中での大きな池は、富と権力の象徴でしょうか。すべての寺院と宮殿に、水を満々と湛えた池がありました。

心残りは、2つあります。早朝出発と遅い時刻の投宿で、街中のぶらり一人歩きができなかったことと、電車の旅が無かったことです。しかし、古代ペルシャ帝国の都エスファハンから、現代イランの都テヘランまでの、8時間の砂漠の中のバス旅は、砂漠の国イラン旅行を満足させてくれるものでした。

伝統工芸産業の再生

                                                kougeihin

                                                     京友禅    からくり人形    ミウラ折り

 ものづくり日本の原点は、徹底的に品質にこだわり、技術の限界に挑戦する職人魂である。「ものづくり」という言葉には、日本人が長い歴史の中で受け継いできた精神性のようなものを感じる。この感性は、美しい四季がある一方で、地震などの厳しい自然災害など多様な環境の中で、日本人の遺伝子に書き込まれてきたのかもしれない。その細やかな感性を表現するために、日本人は、表現豊かな日本語を生み出した。そして、この微妙な感覚を表現する言葉は、「ものづくり」の高度な技術継承に必要不可欠なものであった。

現代に継承されている織物や刀剣、からくり人形などの伝統工芸品は、当時のハイテクで作られたものである。これらの工芸品は、美しさと精緻さ、職人の加工技術の高さや工夫などの集大成であり、芸術的な価値をもっている。

しかし、日本の伝統工芸品の生産額は、1990年をピークとして、バブル崩壊等の影響で急激に衰退、低迷し、現在はピーク時の約2割程度になってしまった。その主な理由は、生産額の減少、それに伴う生産性の悪化、という負のスパイラルに陥っているためと言われている。

しかし、なぜ伝統工芸産業がこれほどまでに衰退してしまったのか、その最大の要因は、営業力不足と思われる。伝統工芸事業者の多くは、販売を代行する産地問屋を経由して販売している。そのため、不況で問屋からの注文が減少すると、他の販売チャネルがないため生産額も減少してしまう。そして、伝統工芸産業の衰退は、地域産業衰退の一要因にもなっている。

いいものを作れば売れる時代は終わり、経営環境が目まぐるしく変化する中で、伝統工芸の再生支援は、中小企業の経営支援を業とする我々の事業領域でもある。営業を通じて、顧客とのコミュニケーションから時代に適合した新商品開発をする。これにより、伝統工芸品のブランド力が高まり、海外からの低価格な商品との差別化を図ることができる。

伝統工芸は、ものづくりの長い歴史を経て、積み上げられたノウハウの結晶である。その技法や技術をヒントにして開発された最先端技術は、多数あるといわれている。例えば、東京大学名誉教授の三浦公亮氏が考案した折り紙技法である。この技法は、太陽電池パネルや地図など平面物の折り畳み法として活用されている。このように、伝統工芸の技術と最新の技術は、開発のアイデアを考案する上で、強い結びつきがある。

海外での高い評価から、改めて日本国内で、伝統工芸品の良さを見直す動きが出始めている。職人が時間と労力をかけて丁寧に仕上げた商品に価値を見出して、若者が後継者として働くことができる産業に再生できることを願う

「みちくさ」江戸歳時記6

神無月、台風による長雨の9月も終わり、今日は日差しがとても優しく感じられ、最高の散歩日よりです。足の向くまま、気の向くままがモットーの我が散歩です。佐賀町河岸を隅田川に沿って上っていくと、芭蕉の銅像(芭蕉庵史跡展望公園)が目に入ってきます。小名木川の河口です。今日の目的は、この河国の傍らにかかっている橋、「万年橋」です。

「万年橋」は、江東区内の橋のなかでも古く架けられた橋の一つと言われています。架橋された年代は明らかではありませんが、 1671年の江戸図には、万年橋が載っています。また、 1680年の江戸図には「元番所橋」として記されています。元番所(川船番所)は万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して利根川水系から江戸に上る人と物を検査する川の関所でした。そこで、小名木川に架けられた橋は、船の通行を妨げないように高く架けられていました。そのため、橋の形は虹の形をした優美な橋であり、橋上からの富士の眺めも素晴らしいかったため、安藤広重は「名所江戸橋百景」に『深川万年橋』(写真1)として取り上げ、また、葛飾北斎も「富嶽三十六景」に『深川万年橋下』(写真2)として錦絵を描きました。

「万年橋」は、橋の美しさだけではなく江戸庶民の生活にも溶け込んでいました。広重の描いた『深川万年橋』は、橋桁に吊るされた放し亀(ニホンイシガメ)を大胆に描いたものです。これは、放生会に亀を放す「放生会(ほうじようえ)」の習慣を描いたものです。放生会とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教的な慣習といわれています。江戸時代には寺社の行事に取り入れられたことから、支配階級の慣わしから庶民の生活ヘと広まっていったようです。

しかし、「万年橋」の人気は江戸時代ばかりでありません。昭和の世になっても深川「万年橋」は小説家達を魅了して止みません。永井荷風の「深川の散歩」、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の『剣客』『蛇苺』『引き込み女』などに登場します。江戸時代の橋は、人が集まり、出会い、分かれる場所でした。人生の出発駅、終着駅、心の目印として物語には橋は欠かせません。

藤沢周平の短編集「橋ものがたり」の中に『約束』という小説があります。主人公の幸助は鋳(カザリ)職人、幼馴染みのお蝶は酌とり女です。貧しい二人の葛藤の中での「万年橋」の上での出会いの話です。幸助とお蝶との五年ぶりの万年橋での再会を物悲しく描いています。「万年橋」の魅力は時代が代われども変わらないようです。

現在の「万年橋」は、1930(昭和5)11月に架け替えられた鉄骨作りの橋です。全長56.25m、幅員17.2mのアーチ型の橋です。当時の木造の橋と比べて物足りなさを感じますが、その趣は深川「万年橋」として時の流れを感じさせてくれます。今では、富士山は見えませんが、橋の上からは、隅田川に架かる最も美しい橋といわれる清洲橋(ケルン市に架けられたライン川の吊り橋をモデルにしています)の眺めが散歩の一時を楽しませてくれます。隅田川の川風には秋の気配が感じられ、カモメ達の鳴き声も軽く今日の散歩を楽しませてくれます。隅田川では抜けるような青空の下、スカイツリーを背に遊覧船が行きかっています。これがまた新しい「万年橋」の眺めなのでしょう。

           写真1 出典:日本郵政   写真2 出典:日本郵政       万年橋 現在(筆者撮影)                      

           PNo1      Pno2      Pno3

 

 

花火

夏の夜の風物詩といえば「花火」です。今年の夏も各地で花火大会が開かれ多くの人が「花火」を楽しんだことと思います。

よく耳にする「日本三大○○」というランク付けは日本独特のものですが、「花火」でも「日本三大花火大会」と呼ばれる大会があります。現在、「日本三大花火大会」と呼ばれているものは、「全国花火競技大会大曲の花火」(秋田)、「土浦全国花火競技大会」(茨城)、「長岡まつり大花火大会」(新潟)の3つです。

このうち、大曲と土浦は、内閣総理大臣杯が授与される権威のある大会としても知られ、全国の花火職人たちの芸術性の高い力作花火が観られ有名です。一方、長岡は、「(新潟県中越地震)復興祈願花火フェニックス」をはじめとするスターマインや正三尺玉など、スケールの大きな花火で構成され、こちらも多くの花火ファンから愛されています。

「大曲の花火」は、例年8月第4土曜日に開催され、1万8000発、人出約70万人以上(大仙市の人口約10万弱)です。「土浦の花火」は、例年10月第1土曜日に開催され、約2万発、人出80万人以上(土浦市人口15万人弱)です。「長岡の花火」は、例年8月2日・3日に開催され、約2万発、人出80~90万人(長岡市人口28万人弱)です。

因みに、打ち上げ数の最も多い花火大会は「諏訪湖祭湖上花火大会」で約4万発です。また、人出の最も多い花火大会は「江戸川区花火大会・市川市納涼祭」で約139万人(江戸川区側90万人・市川市側49万人)です。有名で超人気な「隅田川花火大会」は、約2万発・約100万人です。

その「隅田川花火大会」は、1733年に飢饉発生し、江戸ではコレラが猛威を振るい多数の死者を出した暗い世相の中、将軍吉宗が死者の慰霊と悪霊退散を祈り、両国大川(隅田川)の水神祭りを催し、それに合わせて大花火を披露し、これが隅田川川開きの花火の起源になったと言われています。

さて、地元鴻巣市では、10月10日、災害復興支援・燃えよ!商工会青年部・「こうのす花火大会」(1万5000発、人出50万人)が開催され、今年で14回目です。自慢は「世界一の魂のラストスターマイン」で、四尺玉・三尺玉・尺玉・300連発です。最後の最後に300発のスターマインの連発です。魂が揺さぶられる「音」「光」「煙」、一見の価値ありです。とりわけ、正四尺玉の轟音は鳥肌ものです。

2014kounosu-hanabi

2014こうのす花火大会・世界一の正四尺玉

事業部紹介

経営承継事業部は、円滑な経営承継を実現するための、コンサルティング・セミナー・執筆研究を実践する経営コンサルタントのグループです。
経営承継、円滑な経営承継を実現するための経営革新、後継者に選ばれる企業にするための企業再生などの一体的商品開発により、クライアント満足を優先させることを基本方針として貫いています。

詳細はこちら >

執筆者

月別アーカイブ

このページの先頭へ