経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

「みちくさ」江戸歳時記

深川に仕事場を移って、2年になります。今までは、日本橋という江戸時代の中心地の呉服橋近くに勤務し、仕事の合間を見ては歴史探索を楽しみ、当時の思いに耽っていました。

深川では、内勤となったため、昼休みのウォーキングを日課としています。ところが、深川には江戸の時代の足跡がいたるところに遺されており、ウォーキングが「みちくさ」ばかりになっています。今回は、その中でも毎日歩いている「仙台掘川」を紹介したいと思います。

仙台堀川は、17世紀前半の寛永年間に深川猟師町開発で開削された運河で、隅田川からの入り口付近の北岸に仙台侯松平陸奥守の蔵屋敷があったことから、「仙台」の名がついたといわれています。この川は、江戸時代から米(宮城米)を中心とした食糧および木材等の運搬に利用され、隅田川、小名木川とともに、水運の要として機能してきました。そして、清澄公園近くの海辺橋のたもとには、松尾芭蕉が元禄2年(1689年)、「奥の細道」の旅の出発点としたとされる「採荼庵(さいとあん)」跡が残されています。季節は違いますが、秋めく青空のきぬ雲を仰ぎ見ますと、「草の戸も 住み代わる世ぞ 雛の家」(戸口が草で覆われたこのみすぼらしい深川の宿も、私にかわって新しい住人が住み、綺麗な雛人形が飾られるようなはなやかな家になるのだろう)の一俳句を思い出します。「仙台掘川」に沿って「仙台堀川公園」が続いています。「仙台掘川公園」は、四季の花薫る都内最大級の親水公園です。春には全長900mの桜並木、ソメイヨシノ、カンヒザクラ350本が満開となり、川と桜のコラボレーションが楽しませてくれます。

残暑の厳しい日が続いていますが、歩いていると川面を吹く風からは、秋の気配が感じられます。不思議な光景ですが、赤いサルビアの花の横で小さな萩の紫の花が咲き始まっています。川辺では、ボラやハゼが群がり、たたった2羽ですが、ウミウのつがいが潜り漁にいそしんでいます。暑さを忘れさせるのどかな光景にこころ和ませながら、昔の廻船の賑わいを思い浮かべて歩くことも楽しいものです。

今「仙台掘川」は、季節が夏から秋に変わろうとしています。深川の小さな江戸の名残を楽しむため、散歩やウォーキングを楽しむ人達の姿が増えつつある今日この頃です。

写真1「採荼庵(さいとあん)」跡                  写真2「仙台掘川」

深川1深川2

 

 

 

のぼうの城

20000人 VS 500人!天下の豊臣軍にケンカを売った、でくのぼうがいた。
2012年に公開された映画「のぼうの城」のキャッチコピーである。
「のぼうの城」は、行田市にあった忍城(おしじょう)の史実をもとに小説・映画化されたものである。
天正18年(1590)年、豊臣秀吉は小田原征伐に乗り出した。北条氏の拠点である小田原城のほか、支城である山中城、韮山城、下田城、松井田城、岩槻城、鉢形城、忍城、八王子城を圧倒的な軍勢で攻めた。忍城については、秀吉方の武将、石田三成によって攻められることになった。
忍城は、北は利根川、南は荒川にはさまれた扇状地にあり、小さな川が乱流するとともに、伏流水が寄り集まって広大な沼地となっていた。
石田三成は23000余りの兵力で忍城を囲み、攻撃を開始したが、同城に通じる道は狭く、その左右は水田、しかも至る所に沼沢があり、進みかねた攻撃軍は城内から狙い撃ちされ、隊が乱すところを、打って出た城兵に撃退された。攻めあぐねた石田三成は、城を守る水を逆手にとって水攻めすることにした。
周辺村落から人夫を募り、昼は永楽銭60文と米一升、夜は永楽銭100文と米一升を支給して、突貫作業でわずか5日で土塁を築造させた。総延長14キロメートルにも及ぶ長大なものである。その一部は石田堤と称されて現存している。
さっそく利根川・荒川の水を堤内に引き込んだが、城兵を苦しめるほどの効果を上げるには至らず、数日後には暴風雨のため堤が決壊し、三成軍に水死者を多数出し水攻めは失敗に終わった。
小田原城が落城した後も持ちこたえたのは忍城だけだったが、小田原城中にあった忍城主の成田氏長が豊臣秀吉の勧めに応じて内応し書を忍城に送ったことで、ようやく開城して引き渡された。
石田軍の圧倒的な軍勢に対抗して忍城を守り切った城代、成田長親がでくのぼうだったかどうか、史実では明らかになっていない。しかし、地の利(強み)を生かし、民衆や家臣の力を結集させなければ、圧倒的な軍勢の前に守りきることはできなかったはずである。このことは現代の中小企業経営にも通じる。強みをしっかりと認識し、社員の力を結集させれば大手資本の進出にも負けない。
多勢に無勢でも屈せず奮闘する武蔵武士の姿を見ているだけでも、楽しめる映画となっている。是非一度ご覧ください。

ゴルフと経営戦略

川口市浮間ゴルフ場

川口市浮間ゴルフ場

下手の横好きで、ゴルフとの付き合いは20代後半から始めたので、かれこれ40年弱になろうとしています。ベストスコアは河川敷ゴルフ場の名門・浮間ゴルフ場で、独身 時代に出した奇跡の79(パー70)ですが、今は100を切れるかどうかのおじさんゴルファーです。

最近思うのは、「ゴルフがうまい社長は、会社経営もうまい」、ということです。ゴルフと経営には共通点があります。例えば、目標が数値化される点に着目すれば、ゴルフはスコア、経営では利益・キャッシュフロー。外部環境に着目すれば、ゴルフはコースや天候、経営ではマーケット・顧客・競合・仕入先等。使えるリソースが制約される点に着目すれば、ゴルフは自分のスキル、経営では人材・設備・キャッシュ、等々です。

しかし、ゴルフと経営とは明らかに違います。ゴルフは負けても、同じ失敗を繰り返しても許されますが、経営はそうはいきません。失敗は許されません。

最終18番ホール、ロングホールのセカンド、残り200ヤードの池越えグリーンをどう狙うか。ここをパーで上がれば、今日のコンペの優勝は確実というケースで、うまい・下手・戦略の有無の差が出ます。

下手な私は、グリーンを狙いフェアウェイウッドを使い池ポチャ。それでも1パットで凌げばパーで上がれるとピンをデッドに狙い、力んでトップしてグリーオーバー。難しい奥からの下りのアプローチは大きく外れ、3パットで結果は8と散々です。

一方、うまい社長は、セカンドを得意のアイアンクラブで刻み、アプローチは上りパットが残るように手前に打って、2パットのパーで優勝です。

ゴルフの大叩きの原因の多くは意思決定の誤りです。セオリーに基づいた戦略的な意思決定ができていれば、大叩きにはならないのです。

ゴルフのうまい社長の会社業績は右肩上がりです。なぜなら、ゴルフ談義も経営戦略の話にも共通性があり、マネジメントも経営改革もゴルフに喩えて話をすると理解が早いのです。今、私は社長からパターのコツを教わり、私は社長に経営革新のコツを話しています。

歌枕と東山道

「田一枚植えて立ち去る柳かな 芭蕉」

今年に入ってから、栃木県大田原市に地域活性化からみの仕事で通っている。このあたりでは、田植えは5月の連休前後に実施している。地域資源の掘り起こしの仕事で各地を廻っている合間に、芭蕉の「奥の細道」の旧跡や西行・能因法師の歌枕の旅を追体験している。一番絵になる場所はと考えて、隣の那須町に所在する「遊行柳」と歌枕と東山道について書いてみようと調べて見た。

確かに、街道から田んぼの中のあぜ道を通って、温泉神社の麓にあるこんもりとした茂みに入ると、西行法師や芭蕉の歌碑や句碑が長年の風雪にさらされ、歴史ある旧跡と見てとれる。しかし、奥の細道に記載の内容はかなりの脚色がされているというのが通説となっている。もっと南の「朽木の柳」が旧跡とのこと。

「道のベに清水流るる柳かげ、しばしとてこそ立ちとまりつれ 西行」

謡曲の「遊行柳」は、かなり大胆な脚色がなされているが、柳は白河関から旧街道を入った古塚に生えていることになっている。西行はこちらで歌を詠んだとされている。同じ東山道でも、奥羽の方が都から見れば果ての地という感慨深いものとして創作したのだろう。

旧約聖書の世界は、今でも中東に具体的に存在する。日本の旧跡は、明快に場所が特定しているところもあるが、日本の旧跡は、天皇の陵(古墳)さえも、科学的に被埋葬者が定かでない場合が多い。ひとえに、多神教の日本と一神教の世界の主要な宗教史の差なのだろうか。

とはいっても、古い遺跡の発掘調査をすれば、現代の技術をもって、相当程度、遺跡の作られた年代に至るまで判明する。東山道をもう少し南西に戻ると、下野国の那須郡と塩谷郡の郡境が直線に伸びている場所がある。Google Map(航空写真版)を見ると、確かに現在のさくら市(塩谷郡)と那須烏山市(那須郡)の将軍道と呼ばれる市境が、東山道そのもので、各所で東山道の発掘調査が実施されている。

この遺跡の一部の発掘調査をした人の話を聞くと、東山道は砂礫で舗装された直線道路で、中央部が高くなだらかに傾斜のある路面で、両端に側溝が作られていたという。天平時代に都から7方向に作られた道路は、延喜式のとおりに造られていた。中央集権体制なればこそ可能だったと思う。

名付親

「映画音楽」という言葉は、死語になったのだろうか。映画の主題歌が、音楽番組で流れることは少ない。映画音楽集のレコードや音楽テープを話題にすると、年が知れる時代である。

ビデオやDVDのない時代、映画音楽を聴くことで、映画の内容が脳裏でリプレイされる曲が多かった。音楽が映画と一体になり、脳裏に刻みつけられる作品である。娯楽作品というより、まさに総合芸術の粋を集めた作品が多かった。慕情、エデンの東、サウンド・オブ・ミュージック、シャレード、シェルブールの雨傘などなど。

そのような映画の1つに、アメリカ映画「ゴッドファーザー」がある。背筋を凍えさせるストーリーの展開と、対照的な主題曲「愛のテーマ」とのバランスが映画ファンを虜にした。

タイトルの「ゴッドファーザー」は、マフィア(組織暴力団)のドン(首領)の意味で日本語として使われているのは映画の影響であろうか。が、本来の意味は、教父、名付け親、代父で、生まれた子の洗礼式に立ち会い名(クリスチャン・ネーム)を与え、霊魂上の親として宗教教育を保証する男性である。神聖な宗教的な言葉である。日本語の「名付親」とも、意味合いは異なるようである。

翻って、日本の名付け親を考えると、伝統的には「烏帽子親」になるでしょうか。中世の武家社会では男子が成人に達し、元服の儀式を行う際、烏帽子をかぶせる近親者や一族の長老、主人筋の人を烏帽子親という。その際、幼名を排して名烏帽子名が与えられる。烏帽子親は、名付け親になる。

カンボジアでお世話になった人に娘さんが生まれた。誕生祝を送金したら、名前を付けてほしいとのメールが返ってきた。4月初めの桜の季節なので、「SAKURA」と名付けて、「ビューティフルでエレガントなレディに成人することの願いを込めて」と伝えた。カンボジア社会では、どのような意味合いで受け取られるのだろうか。思わぬところで名付け親になったが、エレガントなレディに成長することを祈っている。

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