経営承継事業部

カテゴリー:休憩室

ひとり街歩き(香港)

はじめまして。

新入会員の田中秀文と申します。

ご挨拶もかねて休憩室に投稿させていただきます。

昨年12月、まだ、デモも鎮静化していない香港を訪ねました。

日本では真冬のこの季節、さすが亜熱帯地域の香港は暖かいのです。

空港到着後、まずは、ホテルへ直行。

ひと昔と違い、海外ホテルもネットで簡単に取れる時代になりました。

でも、少し不安げな気持ちでフロントに。

難なくチェックイン完了で、街歩きスタートです。

宿泊拠点は、香港島の西側、東へセントラル駅方面に向かいます。

歩く道すがら、超高層ビルが所狭しと並んでいて、しかも古い。

イギリス統治から150年、あちこちで改修工事をしています。

狭い地域に700万人暮らす香港ならではの風景を実感します。

お馴染みの二階建てバスが、ばんばん走っていますのですが、これがちょっとあぶない運転なのです。

交差点を減速することなく右折、片方のタイヤが微妙に浮いているようにも。

帰って話すも、誰も信じてくれないのが残念です。

街歩きは、そこの衣食住の文化を肌感覚で触れられるのが良いですね。

目についたのがスマホ。

年配のおばさんが普通にスマホでSkype通話しているのです。

もう一方で、おじさんが、ながらスマホ。

背後から、のぞくと対戦マージャンしてるのです。

本当かよと、これも信じてくれないのが残念。

セントラル駅から対岸の九龍半島へ。

到着したのは、今回の目的地、アベニュー・オブ・スターズ。

香港映画の金字塔、中学生時代に夢中になったブルース・リーです。

夜も更け、同じ場所でギネスにも載るシンフォニーライツを観賞できました。

思いかなって、やっと来たぞと、この日初めての写真がこちらです。

神社仏閣巡りの楽しさ④

昨年、札幌市の円山公園に隣接した北海道神宮に行ってきました。

北海道鎮守としての格式があり、伊勢神宮と同じ派手さはなく、伝統を感じる「神明造り」の拝殿は風格の高さを感じる次第です。木々も多い広い境内を歩いていると不思議と清々しい気持ちになってきます。これがパワースポットなのでしょうか。

ぶらぶら散策していると、“さざれ石”を発見しました。君が代の歌詞にある“さざれ石”という言葉は知っていました

が、案内板の解説で「さざれ石の巌となりて」の意味を理解しました。長い年月の積み重ねを示す比喩表現だったのですね。

広い敷地には「開拓神社」という境内社があります。北海道の開拓に尽力された方々を祀っている社のようです。案内板に開拓の功績者の名前が掲載されており、その中には北前船で有名な海鮮問屋“高田屋嘉兵衛”の名前も載っていました。“先人のご功績を忘れることなく、開拓の精神を受け継いでいく”という内容の言葉が記載されており、心が打たれます。

札幌に行かれる際には、是非訪ねてみていただければと思います。

 

大地の生まれる島アイスランド

自宅から大宮駅に行く経路に、さいたま市会議員の事務所がある。
信号待ちのひととき、掲示されている告知板を見ると、日本はジェンダーギャップ153か国中110位と出ていて、いつも気になっていた。低い原因は、政治と経済面での女性の参加率が低いことが足を引っ張っている。ジェンダーギャップの低い第一位はというと、アイスランドだという。火山の国というイメージだったが、何がこの差を生んだのだろうか、アイスランドに行ってみたくなった。アイスランドへは直行便はなく、フィンランド航空でヘルシンキ乗り換えが便利である。搭乗時間は、合計15時間余りと意外と近いことが分かった。折角だからと、個人旅行を計画した。アイスランドは、ジュール・ベルヌの「地底旅行」の地底への入口の、スネッフェルス山に行ってみたいと思っていたが、一般的な観光ルートにはなっておらず断念した。しかし、いたるところ地底への穴が開いていることは確かである。写真は、北部のディムボルギルにある地球の割れ目をまたいだところ、この少し移動したところには、穴の下に降りて行け、そこには温泉が湧きだしている。大地が割れマグマが噴出していることで島が成り立っている、まさに大地が生まれていることを実感できる国である。日本の火山が太平洋プレートとフィリピンプレートが沈み込んでいるのと正反対である。アイスランドは捕鯨国として有名で、空港には鯨のモニュメントがあり、2006年には商業捕鯨を再開している。一方ホエールウォッチングも旅行の目玉としている。周辺は豊富な漁場があり、漁業が産業の基幹になっている。
火山と氷河の国として有名で、エネルギー源を水力と地熱発電で生んでいることで有名だ。地熱発電の残りの熱で、全国各地に温泉プールや温水供給を行っている。

移民による国で、西暦930年に最古の民主議会「アイシング」を発足したことを誇りとしている。2009年のアメリカのリーマンショックの影響を受け、銀行破綻国有化を実施、IMFの管理下に入った。2010年に公的資金投入を図ったが、外国人(英蘭)の預金迄救済することに国民は反発し、2度の国民投票で公的資金投入は否決され、IMF支援に悪影響をもたらし、EU加盟も遠のいた。しかし、その後のクローネ安の効果で、輸出にドライブがかかり急速に経常収支が改善、観光という新たな成長分野を呼び込んだ。「銀行を救わずに金融危機から脱した」と総括している。

これをもたらしたのは、35万人強の人口と長年にわたる自治の精神が、民主主義の規模としては最適なのかと思われる。自治の精神は、家族の絆を大切にする文化を育み、家族全員が外で働き、政治も担うことでジェンダーギャップも低下している。

氷河と火山に囲まれた氷の国への旅行、お勧めです。新鮮な魚料理は美味ですし、日本職人の指導を受けた鮨はとても美味しいです。牛乳やバターも新鮮で、パンはどこで買っても美味しい。欧米の旅行客に人気な宿泊施設も多様です。

手裏剣と宇宙ロケット

みなさんは、手裏剣というとどんな物を連想しますか?忍者が使う十字手裏剣とか八方手裏剣とかを思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。そういう手裏剣もありますが、あの回転しながら飛ぶ車剣と呼ばれる種類のものは、主に忍者と呼ばれる人たちが使ったものです。武士が使うのは棒手裏剣と呼ばれる、棒状の物でした。

昔、手裏剣術を習っていた頃、仲間と共同で鉄工所に頼んで作ってもらい、数本買って持っていました。その手裏剣の写真をここへ乗せるとカッコ良いのですが、どこかへ紛失してしまいました。残念です。

棒手裏剣は、おおむね図のような形状です。途中で太くなったり細くなったりして重心の位置を変える工夫がしてあり、流派によって形状は少しずつ異なります。私が習った流派では、図のように片方の端から1/3ぐらいの部分が一番太く、そこから両側へ向けて、スッと細くなってゆきます。太い部分から遠い方が尖端で、ここが刺さります。

手裏剣を中指に添わせるようにして持ち、上から手を振り下ろすときに、ロケットの発射台のように中指に沿って飛び出してゆくようにします。イメージとしては、刀を上から斬り降ろすと、その切っ先がちぎれて敵に向けて飛んでゆき、敵に突き刺さる、というイメージです。ですから、手裏剣は「投げる」とは言わず、「打つ」と言います。

道場で、手裏剣を打つ時の立ち方や手裏剣の持ち方、構え方、腕の振り降ろし方などを習い、的である畳に向かって打ちます。ところがこれが刺さりません。途中で手裏剣が回転して上や下を向いてしまい、畳にぱたんと当たって落ちてしまいます。結局その日は一度も刺さらず、先輩の門人で畳屋さんをやっている人から、畳を1/8に切った切れ端をもらって帰りました。

家で畳の切れ端を的に練習をしますが、なかなか刺さりません。刺さるようになるまで1週間ほどかかりました。1年後には直径10㎝ぐらいの範囲にまとまるようになったでしょうか。手裏剣は三不過之術と言って、三本続けて外すようなことはしない術、言い換えると、3本に1本当たれば良い術、というくらいに当たりません。これを一気五剣と言って、一呼吸の間に5本の剣を打つように連続して打剣します。数打ちゃ当たるというやつです。

しかし、練習しているともっとよく当たるようになります。2~3年後には、前に打った手裏剣の後ろに次の手裏剣が当たって火花が出る、というようなこともしばしば起こるようになりました。静かな練習場で落ち着いて打てばそのくらいにあたるのですが、戦いの場でとっさに打った時には三不過之術になるのでしょう。

 

手裏剣には多くの流派があります。有名なところでは、伊豆流、願立流、白井流、根岸流、明府真影流などがあり、その他に剣術流派に付属するものとして、香取神道流、圓明流、北辰一刀流などがあります。

この中で根岸流は他の流派とはちょっと違った形の手裏剣を使うことで知られています。手裏剣の尾端に馬の毛を束ねたものをつけて、これで矢羽のように方向を調節しているらしいのです。重心の位置を調節しているのだという説もあり、私自身は根岸流の人間ではないので、よくわかりません。

根岸流の手裏剣は、手裏剣術の中では名門として知られており、江戸時代には日本各地に広まっていました。その中で水戸藩に伝わった根岸流は、独特の発展をしていました。それは手裏剣の尾端の毛の代わりに、ロケットの尾翼のような4枚の羽をつけたのです。後ろから見ると羽が「十」の字に見えることから、水戸藩では「十字手裏剣」と呼んでいました。忍者が使う「十字手裏剣」とは全く別物です。全日本手裏剣術協会のサイトに写真が出ているので、ご覧ください。

https://www.shuriken.or.jp/topics.html

 

話は変わって、1867年慶応3年、パリで第二回万国博覧会が開催され、日本は初めて万国博に参加しました。この時、将軍徳川慶喜候の実弟で現役の水戸藩主であった徳川昭武卿が将軍の名代として渡仏しました。将軍の実弟であり、現役の藩主が国外旅行をするわけですから、その護衛として武術に優れた武士が多数同行しました。その中には件の十字手裏剣の使い手もいました。

万国博では特に問題も起きず、将軍名代としての仕事を無事に終えた昭武卿は、そのまま帰国しました。同行した護衛の武士も当然帰国したのですが、このとき十字手裏剣の使い手は、持ってきていた十字手裏剣を、現地でお世話になった人に記念品として置いてきました。これが巡り巡ってパリの兵器博物館に収蔵されることになりました。

 

時は下って1903年、ライト兄弟は人類初めての動力を搭載した飛行機での飛行に成功しました。そして1914年、第一次世界大戦勃発。実用レベルに達した飛行機は偵察のために使われるようになっていましたが、これを攻撃に使えないだろうか、と考えるのは当然の流れです。と言っても、空から攻撃するなど、人類が一度も行ったことのない方法です。なかなかいいアイデアが思いつかないわけです。そんな兵器開発技師の一人が、パリの兵器博物館を訪れ、あの十字手裏剣を見たのです。「これだ」と思ったことでしょう。

軽くて小さいので、当時の飛行機にも大量に乗せることができ、手で掴んで振り撒けば、勝手に先端が下を向き、重力で加速されて高速になって落ちてゆき突き刺さります。フランス軍が開発して投箭とかFlechette とか呼ばれるようになったこの武器は、絶大な威力を発揮したため、イギリスやドイツ、アメリカなどでも使われるようになりました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Flechette#Bulk_and_artillery_use

 

アメリカではこれを改良したLazy Dog と呼ばれるものを開発しました。これは爆撃機に搭載する爆弾のような形をしています。ミサイルの形態にも影響を与えたようです。

ここまで来ると、宇宙ロケットのあの形状は、もとは水戸藩の十字手裏剣だった、という記事を書こうと思っていたのですが、これは確認できませんでした。

日本の水戸藩の十字手裏剣がアポロ計画のサターンⅤの原型であったとしたら面白いのですが、実際はどうでしょう・・・?

神社仏閣巡りの楽しさ③

    京都駅に近い「東寺」のパワースポットを二つご紹介したいと思います。

 世界遺産にも登録されている東寺は、「立体曼荼羅」や「五重塔」で有名ですが、隠れパワースポットがあります。それは、「損傷陀羅尼の碑」で、通称「亀石」と呼ばれています。この亀を撫でてから自分の悪い部分を撫でると病気が治るという万病平癒のご利益があるようです。この「亀石」は一つかと思っていましたが、境内をぶらぶら散策していたところ、もう一つ発見しましまた。こちらは比較的新しいもののようですが、ご利益はあるのでしょか?

 

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 二つ目のパワースポットは、「損傷陀羅尼の碑」の近くにある「天降石」です。この石は、別名「撫で石」とも呼ばれており、「亀石」同様に、「石を撫でた手で体の悪い部分を撫でると治る」といわれています。

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  京都に行かれる際には、是非訪ねてみていただければと思います。

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